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さてお待ちかね(ホント?)、診察の過程についてご説明します。

 そんなん、分かってるって思ってるでしょ?
 でもそれって、医師との遣り取りしてるとこだけですよね?
 んで、診察1回受けたらすぐに病名が分かるはずだ、ワカラン奴は薮だと思ってしまいますよね? (もしかしたらですけど…) 

 ところが、そうでもないのです。
 だもんで、誤解が発生しますし、トラブルになっちゃったりするのです。

 診察し病気を特定するって言うのは、推理小説の探偵のようなものなのです。
(何の病気か、病気を突き止めないことには、診療できませんからね。)

 患者の症状からすると……、
 Aの可能性はないか?Bの可能性は?あるいはCか?……
 確率的にいくと……Bの可能性の方が高いか?
 いや、もしあの検査であれの数値が高いとなるとBという可能性がますます高くなるなぁ……
 う?ん……とりあえずBを想定して治療を進めてみようか。
 症状はとりあえず抑えないと、患者も困るからな……

 あれ?数値が低いよ。Bじゃなかったのか???
 えっ、そんな症状が出てるの? 前から?………
 早く言ってよぉ、それだとDという可能性が出てくるよ。
 …ということは、あの検査をしてみないといかんなぁ……

 おっ、あの検査の結果って、ますますDの確率が高いじゃないの。ということは……
 総合的に考えるとDだなぁ。じゃ、その方向で治療を進めようか。

 てな具合。

  「どうも具合が悪い」「なんか熱っぽい」「身体がいつもと違うなぁ」などの自覚があると、人は医療機関に行こうと考えます。中には堪えに堪えた挙げ句に受診する人もいるでしょう。初診です。

 患者は診察室で、医師に不調を訴えます。色々な症状を医師に話しますよね。医師はその訴えにもとづいて診察を始めます。顔色や表情や、診察室に入って椅子に座る様子も観察対象です。もちろん今でかかった病気の種類・生活歴・家族の病歴も調べ上げられます。

 その時、医師は何を考えているか、分かりますか?

 医師は、患者の訴えを頭に浮かべ、今分かっている情報を元に、初診ですから基本的な診察をしながら、頭の中であれこれと可能性のある病気を思い浮かべています。患者の訴えと基本的な診察によって、思い浮かべる病気の数は違ってきます。

 この時、医師の頭に浮かぶ病名って言うのは、患者の訴えなど今分かっている情報、基本的診察から考えられる代表的な病気なんですね。なんでかっていったら、代表的な病気というのは、罹る確率が高い病気だからです。

 この時点で、珍しい病気を思い浮かべる医師はいないようです。だって、罹る確率が低すぎますから。

 初診で病名が分かるときもあります。
 その時というのは、患者の様子や訴える症状と基本的な診察が、あまりにその病気の症状と同じだったときです。つまり明らかに、病気の症状と、患者の訴え・様子・診察結果が一致したときです。

 さて、初診では病気がはっきり分からないこともあります。「たぶんこれだろうなぁ」という時や、どんな病気か、可能性のある病気はいくつかあるけどどれだか分からないという時もよくあります。まれ「???」というときも……

 薬はもらって「様子を見ましょう」と言われたけど、何の病気なのか分からなかったというときは、こういう場合の時のようです。この時、次は検査する、と言われているときもありますね。この検査はもちろん、病名を確定する、あるいは病名を絞り込むためです。

 もちろん、初診で検査をされるときもあります。

 2度目の受診。初診でもらった薬で症状が消え、「先生、治りました」と患者が言ったとしましょう。この時、医師の想定通りの病気だったときと、「あぁ、あれだったのか」って時と、ごく稀に、「あら、あれで治ったんだ…」ってのもあるみたいです。

 もちろん、そうでないときもあります。

 患者が浮かぬ顔で「先生、あれ効かないよ」「ひどくなっちまった」「ちっとも良くならん」「少しはマシになったけど…」というとき。患者にしてみれば「何だよ、この薮!」と内心思っていたりしますよね。

 この「ひどくなった」と言う訴えで、病気が突き止められることがよくあるようです。つまり、前回よりもはっきり症状が出てくることで、医師の頭に浮かんだいくつかの病気の中から、ある程度絞り込められるからです。中にはこの時点で病気が確定することもあります。(確定すれば、あとは治療するだけです。)

 初診で何らかの検査をしていれば、その検査結果のデータも病気を突き止めるための重要な資料となります。また、今回検査をすることもよくありますが、これも病気を絞り込む、あるいは想定の病気と断定・確認するために行われるようです。

 いくらか症状が軽くなったときなどは、そのまま前回と同じ薬が処方されることもあります。また、別の薬が処方されることもあります。

 3回目の受診。この時点での患者の症状や病歴、家族の病歴、生活歴、これまでのいくつかの検査結果のデータを元に、かなり病気が絞り込まれます。この時点で病気が確定することもあれば、病気の候補が2つ3つに絞り込まれたりします。中には、この時点でも病名が確定できないこともよくあります。
 もちろん、この段階でも「???」という場合もあります。

 医師は現時点で有効と思える薬を処方して、さらに様子を見ようとします。また、新たな検査を考えることもあるでしょう。事によったら、他の病院に紹介状を書くこともあるかもしれません。

 通院2回目・3回目ともなると、患者によっては「ちっとも良くならん!」と業を煮やして病院・医院を替える人も出てきます。で、今まで受診していた医師には無断で、新しい医師の診察室を訪れる人もいます。

 で、往々にして、ここで面白いことが起きるのです。

 新しい医師に診察してもらって、何の病気か判明し、診察・治療で治る事って往々にしてあるのです。その為、患者はこの新しい医師を「名医だ!」と絶賛し、それまで罹っていた医師を「あいつは薮だ!」とこき下ろすのです。

 ひどいもんですよね。
 あれだけ前の医師を悩ませといて、「あいつは薮だ!」ですもん。

 でもね、患者にしてみれば、「何度か通っても治らなかったものを、この医者は治してくれた!」と思うから当然と言えば当然なのです。

 が、実はそうではないんですねぇ。これは単なる患者の思い込みだったりするのです。
 「後医は名医」って言葉、聞いたことあるでしょ?
 まさに、これなのです。

 どういうことかというと、新しい医師の前で患者は、前の医師に訴えた症状と現状と、前の医師に処方された薬や検査結果を伝えますね。あるいは、おおざっぱに前医との会話などを伝えます。すると、新しい医師にとっては、前医よりも多くの情報を得ることが出来るわけです。

 その結果、新しい医師にとって、前医が想定した病気がおおよそ特定されるわけですね。で、その病気ではないらしい とわかるわけです。とすると、絞り込める想定される病気の数はぐっと減るわけです。
 ということは、新しい医師の方が、短期間で本当の病気を突き止められるわけです。

 情報が多ければ多いほど、病名を突き止められやすいのです。

 で、目出度く新しい医師は「名医」の称号を患者からいただける……
 でもこれは、前医が試行錯誤した努力の上にあるものなのですね。
        (まぁ、稀には前医が正真正銘の薮ってこともありますが……)


 このようなことは、病名がはっきりして治療の段階でも起きます。
 病気の中には、いくつもの治療法というものがあって、これは患者1人1人に、「合う」「合わない」ってのがあるようなのです。だもんで、医師は患者に対して色々な治療を試みるわけです。やってみなければ分からないこともありますからね。そして、往々にして一つ一つの治療には日数がかかるのです。

 患者にしてみれば、有効な治療、自分に合う治療にすんなり巡り会うまでのあいだ、不安と不信の心を時として抱くことがあります。
 でもこればかりは、医師は神様ではないので、たちどころにどうかなる、な?んてことは出来ないのです。

 こう言うことは福祉の現場でもあります。
 過去に私が関わったケースでは、利用者さんが入所してから、私が転勤するまでの8年間、その利用者さんの大きな課題に取り組みました。といっても、その利用者さんに関わった職員は私だけではありません。この8年間に多くの職員が入れ替わり立ち替わり色々な手法で関わってきました。

 うちの法人は大所帯なので、職員の転勤が毎年あるわけですが、件の利用者さんに関わった職員の多くは、私がみていた8年間の中の部分、部分で関わったわけです。8年間を通してみれば、件の利用者さんの課題は大きく改善されました。でもそれは、運良く8年間関われた私だからその結果までをみることが出来たのです。

 件の利用者さんに関わった多くの職員は、転勤などにより結果をみることなく、「俺(私)のやった事って何だったんだろう?」と諦めを持って次の職場に移ったのです。で、8年後の件の利用者さんの状況を伝え聞いて「俺の、私のやってた事って、無駄だったんだね」と感想を述べるわけです。

 でも、それは明らかに間違った感想なのです。8年間のさまざまな職員の関わり方、試行錯誤の上に8年後の課題の改善があるのです。

 医療も同じなのですね。試行錯誤がどうしても必要なのです。
 でも、医療は命に直接関わるため、患者側とすれば、試行錯誤が必要であることが、なかなか受け入れられないのです。
 そこが、難しいところですね。


 次回は、「外科医」から、原因が分からないが悪化する患者と試行錯誤する医師、患者の父親の関わりについて紹介します。その次は、人質に取られる感覚について説明します。

 参考文献を追加します。
 中央公論社出版 なだいなだ著「お医者さん ?医者と医療のあいだ」1970年出版
 
 あまりに古いので、書店にないかもしれません。図書館にはあると思うので是非読んでみてください。
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【2006/10/17 22:49】 | 未分類 トラックバック(0) |

ドーパミンで痩せる
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神経細胞間の情報伝達に用いられる神経伝達物質の1つ http://macrophage.victoriaclippermagazine.com/

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おはようございます。
今日は午前中に西東京市ひばりが丘駅南口で「蟻の兵隊」のチラシ撒きならびにチケット販売いたします。声かけてくださいね。また、午後は市内を政策カーでまわる「うぐいす」をします。声がつぶれているので実態は「からす」ですが。合間の「蟻」「蟻」いいますので、聞こえたら手を振ってやってください。よろこびます。

「蟻の兵隊」西東京自主上映 10/14 pm6:30会場 7:00上映開始
              こもれびホールです。
連絡はこのサイトの右下 メールフォームからください。
今週は仕事がインターバルで休み週だったのに、結局ばあちゃんの番でなにもできなかったなあ。
勝手連更新しました。http://wind.ap.teacup.com/arinoheitai/94.htmlしばらく、蟻の兵隊のまとめをしたいと思います。

さて、最近、カウンターがむちゃくちゃまわる。それはなぜだ?と訝しくおもっておりました。
わかりました。とある評論サイトに、「ばあばさまからの投稿」のことが貼付けてあるのです。
いやよかった、2チャンとかじゃなくて。

というわけで「元検弁護士のつぶやき」からお越しの皆さま。
何かのご縁ですから、ばあばさまからの医療崩壊記事だけでなく、その他も読んでらしてください。竹薮は一般的な主婦というわけではないですが、主婦であることにこだわりを持ち、主婦として在り続けようとしているものです。主婦の立場で発信、受信することを心がけております。またそのことにご賛同頂いて地味ながらきちんと読んで頂くROMの皆さまをであって、サイトを続けて参りました。「一般人」というものは、多く専門家の方々からは愚かだと馬鹿にされておりますが、かつて専門家、今もある分野では専門家である竹薮は、そのような意識のあり方をはげしく危惧して「問題主婦」を名乗っております。折角いただいたご縁が実り多いものになりますようにねがってご挨拶させて頂きます。

もう一点。気付いたこと。
皆さまが書き込んで頂く、コメントのハンドルについてです。
医療従事者、一般人、勤務医、通りすがりの医学生、通りすがり。。このようなハンドルで発言することって、サラリーマンの背広のよう。個人の人格を表現することを避けておられようです。ここは、そういう表現者はない場所でした。もちろん、ネットコミュニケーションはどのようであってもいいのですし、皆様方がおられたところは、そういう徹底した匿名性の世界でしたでしょう。しかし、問題主婦はそうではありません。あるいは女がそうではないのでしょうか(そこまで分析せずに書いています)

たとえば「らっくすうーマン」さんの「うー」が「ウー」でないのはなぜ?そのように思うことで、「ラックスうーマン」さんへの想像力が湧き、肉体を持った個人と話し合っている気になります。ここの御常連さんたちの情報はIPアドレスとかそういうことではなく、ご家族の病気の情報やお子さんの入学や浪人や、問題行動や、運動会の成果やそんなことがそれぞれの胸の中になんとなく共有されている場所です。

もしよろしければ、医療関係者が情報をおとしていくのではなく、医療者であることは皆様方の人格の一部なのですから、そのような人格をもった個人として表現して頂ければと思います。そうすれば、皆さん方にとって、他サイト/他ブログとは違う「問題主婦」の意味があると思います。如何でしょうか。もちろん、それは意にそわないと言うことであれば、背広のまま、白衣のまま発言して頂くのも、また結構です。ネットコミュニケーションはたとえば、新宿の地下街での立ち話のような者ですから、隣の会話もまた聞こえるし、こちらの会話もまた筒抜けですから。

では長々お待たせしました。
ばあばさまからの投稿です。

*****************

 さて、今回紹介する「外科医」の舞台は、シカゴの中心にある教育病院です。教育病院は日本で言うと大学病院に相当するようです。つまり、医者の卵達の修行の場です。

 そして、教育病院にくる患者さんは主に州の医療給付制度の恩恵を受けている生活保護受給者の人々です。医療費はすべて給付金によって賄われます。そして、中流の患者と同等の医療が受けられ、大抵の教育病院は最新の施設と優秀な専門医を揃えられているのです。

 どうかすると中流の患者さんよりも良い医療を受けるかもしれません。というのも、アメリカには日本のように国民皆保険制度というものはなく、中流の患者さん以上の人々は、各自懐具合に従って医療保険に入っているからです。

 どういうことかというと、保険によって賄われるのは医療費の一部に過ぎず、受診する病院も、どうかすると治療の内容にも保険によっては制約を受けるからです。そして、受診する病院も大規模な教育病院ほど設備が整っていないところが多いようなのです。

 ※「外科医」が書かれたのは今から20年前ですが、たぶんアメリカの医療制度に変化はないはずですから、上記の説明は現在にも通用するだろうと思います。


 登場人物の紹介をします。
 主人公「私」は、著者のリチャード・カリール医師(助教授)スティーブ・サンドボーンは、カリール医師が担当するレジデント(カリール医師のプレッシャーに神経性下痢になったりする内気な医師)

P134 (ある晩秋の深夜)
 後始末をしてから、ミッチ・ホランダーを探しに行った。だが、ミッチではなく、スティーブ・サンドボーンに出くわした。スティーブは、それまでヒーローの部屋で仮眠をとっていたのだ。 ※ヒーローの部屋=研修医達の控え室

  出会ったとき、彼は病院の前に立って、駐車場と、その隣の道路を眺めていた。そこで何しているんだ?」と私は聞いた。「数えているんです。この4時間に4回お産があったんですけど、後どれくらい残っているか見ようと思って。あと二つはありそうですね。」

 スティーブが指さした方に目をやると、ライトのついた車が二台見えた。車の中には、生活保護を受けている妊婦がいる。彼女達はクック郡立病院でお産をするように決められているが、この病院の方がこぢんまりしていて親しみやすいので、こちらに来たがる。

 車の中で陣痛が始まるのを待ち、始まると救急室へかけつけるのだ。こちらは面倒を見ないわけにはいかない。市も「緊急のお産」の費用を払わざるを得なかった。

「あそこを見ろ。もう一つありそうだぞ」と私は言った。
 スティーブはうめき声をあげた。「一晩に7回も。ちびが7人か」。首を振りながら言う。
 (略)

 停めてある車からお腹の大きな女がよろめき出て、2、3メートル離れた救急室の入口へ走るように向かうのを、2人で黙って見つめた。駐車場で枯れ葉が乾いた音を立てて舞っている。
 (後略)


 これ、今日本全国のお産難民の方々の行動といっしょですよね。日本の場合は救急車によることが多いですけれども。

 横浜では今、妊娠6週になって病院に行ったんでは遅すぎるそうです。妊娠反応が陽性になったら即、必死になって生む場所を探さないとイケナイ状況になっているとか。

 産む場所がどこにも見つからない「お産難民」が神奈川県全体で年に何千人も発生しているそうで、数年以内には、「お産難民」が神奈川県だけでも年に1万人を超すだろうとの予測もあるとか。

ある産婦人科医のひとりごとより
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/10/post_3462.html



ETV特集:なぜ医師は立ち去るのか?地域医療・崩壊の序曲?10月7日放送?
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html
ここで産みたい?産科医不足・試される現場から?2006年10月9日放送?
http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/


【2006/10/07 09:03】 | 未分類 トラックバック(0) |

ばあばさま
あいね
ばあばさま、はじめまして。

医療崩壊についてずっと読ませて頂いておりますが、自分の頭の中を一度整理するためにコメントさせてください。
私は神奈川で生活をしていて、お産も居住地にある市立の病院でしました。約10年前の話ですが、その時でも妊娠したとわかった時点ですぐに出産の予約を入れないとその病院では出産できないと病院の方から言われました。結果としてすぐ予約を入れて市立の病院で出産したわけですが、その当時は実家に帰って出産するという選択肢もあり、あまり危機感を感じてはいませんでした。
ところが、現在ではその"実家に帰って出産"も危ぶまれる状況になっていますよね。(気づいていないだけで、ひょっとして当時から危なかったのかもしれませんが。)今、私が妊婦だったらと思うと心底ぞっとします。また、早ければあと10数年で我が子も妊婦になりうるわけで、お産に関しては今現在自分が当事者ではないからといって安心しているわけには行きません。当然、今この瞬間からわが身に降りかかってくるであろう病気や怪我等に対してはなおさらな事です。もう少し時間をかけてじっくり考えてみたいと思い、ばあばさまからの投稿1から読み直したり、リンクのページにいったりしているところです。
先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。100%医療を受ける側である私が出来ることといえば、今のところこれくらいでしょうか。
悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。
よろしくお願いします。


ばあば
>先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。
>悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。

 あいねさん、まず何よりも知ることだと私は思います。そうでなければ行動に移せませんから。それに、この問題は突き詰めれば、それぞれの死生観にも関わってくるのではないかと、恐ろしいことに私はそう思ってもいるのです。

 今の状況は、パニック映画で言うと導入部分でしかありません。

 映画では、導入部分で危機感を持った人間だけが最大の危機を脱し、問題解決の糸口を掴むことができます。その他の人々は、運がよければお相伴に預かれることになっています。

 私が知り得るところをこれからも紹介したいと思います。そして、患者側の人間としてとりうる方法を模索したいと思います。ある意味、私は炭鉱のカナリヤですから。

 あいねさんも、どうかこの問題に常に関心を持ち、アンテナを高く掲げてください。そして、隣近所の人々にもさりげなく、伝えてください。

NHK教育テレビ
竹薮みさえ
見ましたよ。
きつかった一日の最後に。
みんな一緒と各人各様の項に書きましたが、やはり市民がビジョンをもつということでしょう。あの瀬棚の診療所は、住民との組合組織にして、行政から補助をとりながら、自主経営するのがいいでしょう。国や自治体の任せてないで、あれだけ市民が立ち上がっているのなら、それが出来ると思うな。

夕張の副院長がいてったけど、厚労省は国民に死ねと言ってるんですよ。自己責任でね。その象徴が尊厳死です。ビジョンを持った医者と市民の恊働。これは早晩流行りになるな。きっと。

ばあばさま
あいね
こんばんは。
コメントありがとうございます。
ばあばさまの投稿を読みながら色々な思いが交錯して、自分の考えをどのように方向付けしたらよいのか少しもてあましていたのですが、コメントを頂いたことで糸口が見えてきたような気がします。(錯覚でないことを祈ります。)
"先ずは知ること。"ここを心に留めて関心を持ち続けていきたいと思います。隣近所の方々にさりげなく伝えてあげられるようになるためにも。
お忙しいでしょうが、引き続きの投稿をお待ちしております。





ばあば
>ビジョンを持った医者と市民の恊働。

 そうです。医療関係者の方々と住民はタッグを組んで、必要とあらば、政府・行政に当たる必要があると思っています。

 しかし今、あまりにバランスが悪いのです。
 今のままではタッグは組めません。

 患者側の立場である我々は、もっと色々なことを知らなければならないと思います。さもないとバランスが取れないと思っています。なにせ現状では、「医療崩壊が来るぞ!」と警報と悲鳴を出しているのは、医療関係者、医師の方々だけですから。

 「心の僻地」を作り出しているのは、患者側の我々です。

 へへっ、「心の僻地」という言葉をいつ言おうかと悩んでおりました。番組の中で井関氏が説明してみえたので、安心して使えます。なにせこの言葉、患者側としては耳に痛い言葉ですもん。

そうでしょうか。
竹薮みさえ
今回の場合、いつもぶつかるのがそこです。
「患者側としては耳が痛い」ので、医療者の人たちが「使うのがはばかられる」というかぎり、心の僻地を作り出すのは、医師も同罪です。
今日の医療者達は、患者を育ててきました。だから患者の方が医者に歩み寄って悪うございました。不見識でしたと謝らにゃあいかんのですか?今日のウツの男性はやって当たり前のことをようやくやった、おそすぎたんですか?

ばあばさんの投稿にコメントする医療者のかたたちはどうしてばあばさんにむけて語るのですか、ばあばさんはもうすでにわかってる人なんですよ、そういう味方にむけて語る必要はない。ここをROMしてる見えない主婦達にむけて語るべきなのに、ばあばさんに向けてかたる。ここをROMしている方々という呼びかけがない。竹薮の記事に反応して下さったのはどDr.Iさんのみです。いささか挑発的な今日の竹薮の記事にコメントくださらないのはなぜ?

内輪でだべるな。外に向かって語れ。誰と何を共有したいのか。方向性を語れ。今日のコーディネートしていた行政学の人と、竹薮のいうことは同じです。で、竹薮は患者の側だから医療者に向けていってるんです。医師もまた「心の僻地」をこれまでさんざんつくってきた。「いい薬つかいますからね」という医師が山ほどいる。それでレセプト開示だの、インフォームドコンセプトだのという動きが出てきた。それを棚に上げて、行政の画策もあって医療崩壊するのを、まるで「患者があほだから」みたいに言われるのは納得いきません。

「お医者さま」が医療者として、地べたにおりてきてくれないとどうしようもないし、「患者さま」などという妙な持ち上げ方をして患者を消費者にしてしまった医療マネジメントもまた批判されねばならないでしょう。
「心の僻地」というのを井関氏は行政や医療者に対してつかっていたでしょう?
「医療過誤」というある意味でまちがった叫びを、患者に正しく叫べと誰が言えるのでしょうか?その叫びは実はこういう風に叫ぶべきだったといままで解釈してこなかった、医療関係者(行政も、プロも、そして患者と医療者のコーディネーター)の全てが患者と敵対的な立場にしか立たなかったってことじゃないですか?

ばあばさんは尿意を感じない人が失禁することを責めない。それと同じです。尿意を感じない者と共存していくには尿意を要求することは出来ません。患者は失禁してなんでもかんでも訴える。それは医師がなんでもなおしてくれるという幻想故です。その圧倒的な医療者のフリをなげくのはいい。しかし、患者に尿意を要求するのは間違いです。認識に余裕のあるものが、(つまり問題を良く知ることのできるものが)苦労を負うのは、世の中の恒ではありませんか。認識に余裕があるからこそ、発信の責任があるのです。幸いわたしたちはある程度「尿意」を感じることが出来ます。幻想を放置せずにもっと早く対応していれば、ここまでひどくはならなかったかもしれません。たとえば在宅で死にたいといったのは患者です。そして在宅での死がデザインされた。そういう正しい叫びもあったのです。そしてその二つの叫びは同根です。

遅すぎた「医療崩壊がくるぞ」という叫びにおいて、なぜ「そこまで叫べなかったのか」という総括がないと、患者と医師の恊働はくめないでしょう。

竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。


元田舎医
>>管理人さん
>竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。
というより、もう少し当該問題について知識を得てから吠えられた方が説得力が増すのでは。
今の現状認識では読んでいてあまりに痛々しいので医療者側が生暖かくスルーしているだけのように思います。
探す気にさえなれば資料などいくらでも転がっています。
調べる気にさえなれば。


じゃりんこ知恵
皆様、白熱してますね。個人的には、こうゆう雰囲気好きです。要は、安心して産めない(産科医不足)、安心して育てらない(小児科医不足)現状で、いくら手当てをねんごろにしても、少子化対策にはならないだろうと思います。


ばあば
 私が医療崩壊に関心を持つに至ったのは、案外とそれまでの読書歴がものを言ったのかもしれません。医療関係で読んだ本。

70年代に読んだのは、
 リチャード・フッカー著「マッシュ」3巻
 なだいなだ著「お医者さん~医者と医療のあいだ」
80年代は、
 田村京子著「北洋船団女ドクター航海記」
 川人 明著「正直な誤診のはなし」
 庭瀬康二著「ガン病棟のカルテ」
 吉利 和編「医師の生命観」
 それに、以前紹介した「外科医」「ついに…僕は医者になった」
90年代は、
 別冊宝島152「病院で死ぬ!」
 入澤俊氏著「こちら泌尿器科110番」
 そして以前紹介した「研修医なな子」全7巻

 改めて本棚から手にとってぱらぱらと見ていたら、医療崩壊に到るまでの諸問題は、すでに70年代には書籍として世間に公表されていたんですね。すっかり忘れていましたが。

 なだいなだ氏の「お医者さん」には、医療崩壊に到るまでの諸問題がさり気なく書かれていました。この本、毎日出版文化賞受賞なんですね。でも、この本読んだ人、きっと少なかったんでしょうね。   

非医療者の幻想
人形師
医師は人口の0.2%しかなく、誠実に現状をお話しても大多数の非医療者は、
マスメディアによって作られた先入観に基づいてお話を聞かれます。
医療問題を語る上で、本来オピニオンリーダ足らねばならない医師は
数の力では、圧倒的に弱いため、非医療者の幻想が社会では主流です。

医師というのは、自分の意見を表明しても数の力(=権力)で押しつぶされ、
また、働き盛りの有権者は全く医療機関を利用しない人がほとんどであるので
黙殺されてしまうのです。メディアでも医師たたきで終了してしまうのは
医療を必要としている人は、選挙の票にならないからでしょう。

私はとある地方病院に勤務していましたが、患者さんの苦情の投書のほとんどは
時間外外来の待ち時間短縮、病院食堂のメニュー、トイレの構造についてでした。
本来の医療機関の能力としては、大淀事件のように重症患者の対応能力などを
重視すべきだと考えます。

病院の苦情処理係としては、数の上で多い本来の医療では後回しにすることを
優先して、声を上げることすらできないICUの患者や、新生児室の患者に対応する
ことが後回しになります。(後回しにするということは、見殺しにするということと
同義であります。)

医療問題は、公開されてはいけないのです。また、有能な病院は宣伝してはいけないのです。
患者に開かれた医療というのは幻想です。
対応が良いと評判の病院は、誰に対してか、軽症患者のみ対応が良いということか
見極める必要があります。

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 ばあばさまからの投稿を掲載し始めて、医療関係者の方々からコメントをいただいている。竹薮は場所を提供しているのである。だもんで、そのコメントに対して返信するのは、ばあばさんの役かなあと考えて、今までコメントせずにいた。でもまあ、管理人だし、この間感じたことを書いとくのもいいかなと思いちょこっと書く。

1)医者は特別の人間ではない。
 わたしたちは、医者に行けば治るとおもっているが、そうではない。治ることもあれば、治らないこともある。それは予備校にいって受かることもあれば、落ちることもあるってのと同じだ。それと、専門家ってのは専門であって、万能ではない。だから、病気になった時、わたしたちは、治る治らない、あるいはその方法も含めて主体にならなきゃいけないってことだ。

2)主体であるわたしたち(医師も含めて)の未熟
 医者に依存して、なんかあったら文句言う一般人の態度に医療者はおこっている。
 しかし、これは医療だけでなく、全般的にいえることだ。わたしたちの生活は全面的に商品化されており、衣食住のすべて、教育も娯楽もすべてそうだ。商品水準が比較的に向上しているし、自分で何もしなくても、ただ買えば済むので、商品知識をもたない。だもんで、スカをつかんではじめて激怒し、かつ、とんでもない要求をするわけだ。今の世の中の仕組み全体がそうなんだ。

3)だったら、何をするべきなのか
 商品知識をつける。かつ消費者意識をつける。そのための教育がなされなければならない。ってだけのことでしょ。また商品をきちんと知るってのはある程度自分で出来る方がいいに決まってるんだ。学校や家庭の中で、保健教育の充実がのぞまれる。

 医師は愚痴ってないで、積極的に発信すべきだ。自分が出来ないなら、組織化して専従をやとえばいいでしょ。あるいは、家族にやらせればいいでしょ。医療組合みたいなのもいいかもしれない。患者も、医師の組合員として出資する。その医療組合も、基礎的医療と、高級医療さまざまなものがあっていい。その医療組合が積極的に広報するってのはどうか。医師が、単なる理科系の人間としてしか、学んでいないことが大きな問題。これは日本の教育の難点。
 ともかく社会科学基礎理論というのを大学できっちりやることが大切なんだけども、それをやらないなから、みんな馬鹿になってしまう。官僚も、医師も、ホリエモン同様にダメなのは社会科学をやってなくて、実学しか出来ないからだと思う。

4)議論の方向性をどこへもっていくべきか。医師の惨状はわかったと。で、事実をしるのは、今後ばあばさんに投稿して頂けるのでそれでいくとして。現在の医療をめぐる諸問題、つまり介護保険の新制度、多田富雄さんが怒っておられるリハビリの問題、尊厳死のガイドライン法制化の問題。このような諸問題を医療という概念で包括的にとらえるならば、どうなるか?というのが、竹薮のこれまでのスタイルだ。そのような総論を考えた上で、各論を考えるのが、今までの姿勢だ。だから、ばあばさんの投稿とそこになされる医療者方からのコメントの流れとは別に、そのように考えたいと思う。

5)総論の方向性
 誰と何を共有するのか。これは今まで竹薮が何度も言ってきた、問題を立てる時の考え方の基本だ。医療者と非医療者が共有する。それは動かないと思う。この共有がなければ問題解決はないだろう。で、どこまで共有できるか。そこだ。今、医療者が非医療者に向かって、もうやれない、無理だとそういう現実を共有せよと迫っているということだと思う。そこから次だ。次はどっちだ。そこなんだと思う。

【2006/10/05 22:08】 | 未分類 トラックバック(0) |

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さて前回、医者が治療をどういう過程を経て行っているのかを紹介するといいましたが、その前にもう一つ説明すべき事があります。

 前回は患者側から見た医療崩壊でしたが、これだと、「何だ、医者の数を増やせばいいじゃないか」ということになりますよね? 今、色々な都道府県で、医学部の定員を増やそうと動いています。ところが、それだけでは何にもならないのですよ。

 で、そのことについてご説明します。

 私の勤めている重度知的障害児・者の施設にも、今年新人が1人入ってきました。彼女は、学校で施設実習を3週間×3回こなしてきたのだそうです。そして、介護福祉士の免許も持っています。
 が、実戦で安心して任せられるか? と訊かれると「?」がつきます。
 なぜか?

  確かに基本的なことは学んできていますが、現場はすべて応用問題ばかりでして、一つとして教科書に載っているような事例はないのです。人の障害の程度・性格・境遇・行動パターン・抱える問題etc は、千差万別ですから、杓子定規に人に対応するわけには行きません。

 また、たとえば、私が「やったらアカンでしょ?」と利用者さんに話すと相手が素直に応じたとして、それと同じ言葉を同じ状況で新人の彼女が話したとて、利用者さんは素直に応じないことが往々にしてあるのです。逆に、パニックを起こしかねないことだってあります。それが、経験と知識・知恵の差なのです。私、20ん年選手ですしね。

 そう言う訳なので、新人は時に厳しく、時に優しく、時に慰められ、時に落ち込まされるなどして、先輩諸氏に鍛えられることで、いつしか一人前になるのです。そして、新人を育てるもう1人の主役は、利用者さん達です。我々職員は、利用者さん達によって育てられる面も、とても大きいのです。

 はっきりいって、新人1年生に利用者さんを安心して任せるなんて、出来ません!
 何しでかしてくれるか分かったものではないですから……
 新人1年生には出来る範囲、安心して任せられる範囲のことをやっていただいています。利用者さんの為に。
 そして、先輩諸氏は、いつでも新人の行動を観察しています。早く育ってもらわん事には、安心できませんからねぇ。戦力にもならないし……


 さて、前に参考資料として3冊の本を紹介しましたが、どの本にも「研修医」「実習生」「レジデント」という言葉が出てきたはずです。これらの言葉は、まぁ「レジデント」はそうとはいいにくいですが、「医者の卵達」を意味します。

 これらの医者の卵達は皆、医師の国家試験を合格しており、世間では「医師」としてみなされますが、実際は、安心して患者の前に出せない段階の方々といえます。 (んなこというと、思いっきり怒られそうですが……)

 じゃぁどうするんだ!? と思うでしょ?

 医師免を獲得した医者の卵達は、実際の病院で「指導医」という名の常勤の勤務医達の厳しい指導と監視下の元、実際の患者さんを相手に修行するのです。

 森本梢子著のマンガ「研修医なな子」集英社 を読まれた方は、医者の卵達の修行の一端を理解されたと思いますが、注射の打ち方から、実戦の薬の使い方から、手術のイロハから、医者の心得から、患者さんとの関わり方から、およそ医者として必要なことすべてを、指導医について学んでいくのです。

 私の知り得たところでは、医者として覚えることって膨大な量なんです。そして、人間の身体って千差万別なんですね。薬や手術や治療に対しての色々なことも、人によって効果に違いがあるようです。そして、これらの事は教科書には載っていないことが往々にしてあります。

 これらの実際のところは、やはり患者さん相手に実地にやらないことには、場数をふまないことには身につかないのです。名医は一日にして成らず!!! なのです。

 ちなみに、安心して患者の前に出せるまでに必要な修行年数は、医師免をとってから最低4年です。大学医学部に入ってから10年かかりますかね。もっと必要な場合もありますけどね。昨年から研修医制度が変わったので、修行年数は2年ほど延びますね、多分。

 さて、ここまで説明すれば、医者の卵達の修行に、「指導医」としての常勤の勤務医が必要不可欠であることは、充分におわかりいただけたと思います。

 医者の卵達にとって、病院に常勤の勤務医がいないということは、一人前の医師として必要な修行が出来ない!ということです。医者の卵達にとって、色々な症例を経験することは、必要不可欠なものです。が、これは「指導医=常勤の勤務医」が居てこそ出来るものなのです。患者としても安心して治療を受けたいですからね。

 今、全国の病院で起こりはじめている「医療崩壊」は、医者の卵達の修行に重大な危機をもたらしはじめているのです。

 今、病院に勤めて頑張って堪えて勤めている勤務医の医師の方々が、これ以上バーンアウトしないように勤務し続けていただくことは、医者の卵達の未来にも重要な要素なのです。ひいては、我々患者側にとっても重要なことであることはいうまでもありません。

 何度目かに読み返したリチャード・カリール著「外科医」という本に、産科医療の崩壊が起きたときの患者の行動について書かれていたので、次回はそれについて紹介します。
 
 医者が治療をどういう過程を経て行っているのかは、その次に紹介しますね。

【2006/09/30 21:33】 | 未分類 トラックバック(0) |

ばあば様
ラックス
ばあばさま
一連のシリーズ、ひと区切りがついてから感想をと思っていたのですが、ちょっと待ちきれず途中で乱入いたします。

危機的な医療現場、そしてその最前線の医師、よほど強靱な精神と体力と使命感がなければ務まりませんね。
そんな過酷な仕事なのに、なぜ世の中のお医者さんは自分の息子・娘に跡を継がそうとし、その手始めに医学部入学に少しでも可能性が高まる高偏差値中学に入れようとするのでしょうね?
小学生の一日6時間睡眠を当然とし、小3からお稽古ごとをやめさせ、いっさいの家事手伝いを免除し、テレビもマンガも映画も見せず、入試に出そうな本だけを選び読ませてまで15年計画を推し進める「医師にしたいエネルギー」の源はなんなんでしょう?

晴れて高偏差値中学→高校に入った我が子の成績が下がれば、自宅の一室をICUと名付け、我が子を締め上げ、我が子が家に火を放つほど追いつめても医師にしたいというパワーはいったいどこから来るのでしょう?

私の勤め先はそういう家庭の需要で成り立っているといって過言ではありません。
ひと家庭や2家庭の過去の極端な例を述べているのではありません。もうもう、毎年毎年、腐るほど見てきています。
そうでない医者一家もあるでしょうが、そうでない家はこのゲームに参戦していないから私の目に入らないだけかなあ?
それにしても多すぎる。

さらに、跡を継がせるだけでなく、
歯科医は、我が子こそは歯医者じゃない「ちゃんとしたドクター」になってほしいと切望し、
皮膚科の医師は、娘は外科医(できれば脳外)になってほしいと熱望し、
私立医学部出の医師は、息子こそ日の当たる国立(できれば旧帝大)医学部を出てほしいと願い長期計画がスタートしたりする。
すごい向上心です。

政治家に2世・3世が多いように、医師という仕事には、他人には譲りたくないよっぽど美味しいことがあるんだろうと、私は思っていました。



とおりすがりの医学生
>そんな過酷な仕事なのに、なぜ世の中のお医者さんは自分の息子・娘に跡を継がそうとし、その手始めに医学部入学に少しでも可能性が高まる高偏差値中学に入れようとするのでしょうね?
>小学生の一日6時間睡眠を当然と、小3からお稽古ごとをやめさせ、いっさいの家事手伝いを免除し、テレビもマンガも映画も見せず、入試に出そうな本だけを選び読ませてまで15年計画を推し進める「医師にしたいエネルギー」の源はなんなんでしょう?

医学部に入ると実習ということで大学病院や市中病院をまわったりします。そのとき先生方から口をそろえて言われるのですが、「君たちこれから大変だよ、私も子供が医者になりたいといったら絶対反対する。」とおっしゃる先生ばかりでした。おそらく最近は勤務医の親で子供を医者にしたいという人は少数派なのではないでしょうか?開業医の方は他の自営業と同じように自分で築きあげたものを子供にあとを継がせたいとか地盤があるからそれほど大変でもないとかあると言うことはあると思いますが。私も医師の仕事の過酷さには実際に現場で目の当たりにして驚いた面があります。正直、1流企業と呼ばれるところに勤めた方がよっぽど割に合うのではないかと最近思っています。このまま医師が世間から誤解され報われないような世の中ならば医師免許を持って普通のサラリーマンや公務員などに転向しようと思っている今日この頃であります。ちなみに親御さんが歯医者の方は昔、自分が医者を目指していて学力的に無理で医者にあこがれているという人が多いという面もあるのではないかと思います。実際今の歯学部の学生の中にもかなりの人数の人が医学部を目指していたが・・・・という人がいます。また、歯科はいま人あまりの状態で開業しても食べていけるかどうかすらわからない状況にあるので親御心としては余計そうなのではないでしょうか?それと医者は結構みな受験マニアというか学歴主義というかそういう面がありますので私立の方ならやはり国立の医学部へ、皮膚科の医者なら外科医などメジャーな科へといった傾向というかコンプレックスがあります。何かおいしい話があるというよりは私立や皮膚科ってちょっとかっこ悪い(すみません私大出や皮膚科の先生)という感覚がやはりいりますので・・・・自分の子供が恥ずかしくないところにいってほしいというのもやはり親心でしょう。しかし最近はそんなかっこいいかっこわるいということよりも本当に割に合わないということが多くなってきているので先にあげたように「子供が医者になるのは絶対反対!」という医者が多数派になってきているのだと思います。
何かちょっとつらつらと書いてしまったので文章にまとまりがなく申し訳ありません。

それから
とおりすがりの医学生
医師が高給だといわれてますが、最近はインターネットで色々資料が手に入るようになり以下↓のように仕事の責任や労働環境などが全然医師よりも軽いのに(時給に換算すると)はるかによい高給をもらっている公務員系病院事務や看護師(あくまで公立病院です。)の実態が知られてきており、医師もこれをみて皆ビックリしているようです。おそらくこれに賞与などを加えたら年収1千万を超える事務や看護師の方が続出となることと思います。

新潟県 平成13年度 県立病院統計 p171
看護師 平均年齢 38.2歳 平均月収 55万4839円
準看護師 平均年齢51.5歳 平均月収 69万8658円
新潟県立松○病院
看護師 平均年齢 40.6歳 平均月収 69万6531円
準看護師 平均年齢 48.9歳 平均月収 75万9238円
中卒準看護師でも年収 1000万が現実にある。

http://www.pref.iwate.jp/~hp0102/01_kyuyo/kyuuyoteisuukannri.pdf#search='%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%20%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%B8%AB%20%E5%B9%B3%E5%9D%87%E7%B5%A6%E4%B8%8E'
岩手県
看護師が68.5万  平均 38.2歳
岩手県 (事務) 37.8歳 741918円
P13にありまつ。

平成13年度の県立病院年報だ。
某A病院 事務職員 平均年齢51.4歳 平均月収額84.5333円 同じく 準看護師 48.9歳 759238円
     医療技術員(放射線とかのことか?) 44.2歳 731084円
     看護師 40.6歳 696531円



じゃりんこ知恵
新人育成は、医療でも福祉でも課題でしょうね。医療が崩れると、当然福祉も崩れます。勤務医は、やはりキツイ事が多いでしょうね。おいしいのは、そこそ流行っている開業医あたりでしょうか?。でも、そんなお医者ばかりだと、重症患者、長期療養患者の行く場所ありませんよね。やはり各地の総合病院がしっかりしてくれないと。本当にのたれ死にしなくなるかもしれません。怖ろしい国になりつつあります。
この国は‥。


ラックスうーマン
とおりすがりの医学生さん、はじめまして。
コメントにコメントいただきありがとうございました。

昨日投稿したあと、なぜ医師が子どもを医師にしたがるかについて、「経済的に美味しいこと」以外にもう1つ思い当たったので、今回ちょっとそれについて聞いてください。

ある両親医師(但しお母さんは医師免許を持っているが今は専業主婦)の息子が、ちょっと勉強のしすぎでややこしい行動を起こしだしたので、塾講師としてお話を伺ったとき、お母さんがおっしゃったこと。
「一族親戚医師だらけで、私も夫も医師の世界以外を知りません。医師のような知識や技能に裏付けされた資格を持つ職種以外の仕事に就くって事がどういうことなのか想像がおよびません。あの子がそういう資格なし・人間性勝負の世界でやっていけるとは、とても思えないのです。」
こういう発言は、このお母さんからしか聞いていないので、今のところサンプル1です。だから多くの人がそうだとは言えませんが、案外こういう発想が医師一家にあるのかも・・・と思いました。
我が子の人間性うんぬんの可能性を10才前の子につけて、15年後の資格を目指すところがすごいです。

激務の勤務医の方が、接する人間が「同僚医師」・「患者」・「看護師などその他の医療関係者」というせまい世界に限られてしまいますね。
そうすると、その3つの中ではダントツぶっちぎり医師の立場(身分)が上というのがあって、その狭い世界でしか子どもの職業を選べない(知らない)から、それなら何が何でも医者にするぞ!という仮説は成り立たないでしょうか。あはは「患者」という職業はありませんが、そこは突っ込まないでね。

最近は「チーム医療」とか「医療スタッフ」とかいう概念やシステムが進んでいるそうですが、どうもお医者さん(特に開業医)とその配偶者の平素の発言を聞いていると、まだまだ先の話のように思います。

あのう・・・いち市民としては、ベテラン中卒准看護師が年収1000万でも「へ~そうなんだ~」です。(笑)
でも、割があう・割があわないが、患者の生死を判断する責任の重さに対してなら、ほんと、そうですね。
でも、小学校4年生から大学受験までの塾代、目玉飛び出る私立医学部の授業料・医師をひとり養成するのに投入される税金とかに対して、割にあう・あわないというのなら、なんだかオヨヨという感じがします。これはもう今後ますます割があわなくなるのは食い止められないように思います。
割にあうことを楽しみにして医師になった人は「損」ですね。(笑)

ああ、、でも国の税金の使い方自体が、あらゆる方面で「割にあうかどうか」だからなあ・・・。
案外、「割にあうかどうか」が今の日本の基準かもしれませんね。哀しいね。

とおりすがりの医学生さんは、医者一家の人かなあ?それとも初代?どっちやろ~~なんて下衆な事を妄想をしつつ書き込んでます(笑)

ばあば様、
医療崩壊を広い視点から切り込んでいらっしゃるのに、とても些末な一面だけを掘り起こしてしまって、申し訳ありませんでした。
続きを楽しみにしています。


とおりすがりの医学生
どうもはじめまして、ご返事ありがとうございます。
他の職業を知らないからってのは大いにあるかもしれませんね。医者って意外と他の業界については無知ですし、医師になるまで医師なってからも頑張ってきていますので医師という職業にそれなりのプライドを持っているようです。ですから今まではやっぱり子供も医師にしたいというような方が多いのでしょうが昨今はさすがに・・・・・・・。家族・親戚に医療関係者がいない人も昔の医師はよいというイメージがあって実際来て見てビックリという感じの人は結構いるようです。私は色々思うことがあって、親からは大反対されましたが(今でもこころよく思ってないようです(笑))医学部にきました。大変だというのはわかっていたのですがそれでもやはりここまでひどいとは思いませんでした。(ちなみにうちは親戚一同医療関係者はいません。)最近は他業種の友人も結構いていろいろちらほらと聞くのですが、それとも比べてみて、もし自分が将来子供を持つようになって子供が医者になりたいと言い出したら嬉しくはあると思いますがやはりとめると思います。
それから
>中卒準看護師でも年収1000万が現実にある。
は最近、他の掲示板でよく見られるものをそのままコピペしてきたもので私のコメントではないので・・・・(といっても公立病院なので全国赤字で大変といってるその穴埋めは全て納税者の皆様の税金から出ているわけで、まぁ、納税者の皆様がそれでいいとおっしゃるのならば全然かまわないのですが・・・)
それから医師に投入されている税金についてはよく国立大学生は卒業までの税金に1億かかるといわれてますがこれも最近ネットで大学の経営収支などの資料が見られるようになりそれをみると全くの嘘で他の工学部とたいして変わらない(設備の面などを考えるとかえって工学部の方が税金がかかってる?)ということが知られてきています。私立についてはよく知りませんが病院運営の赤字を授業料でどうやら埋めているというのが実態のようです。慶応などは他学部からの収入でそれをまかなっているので安くすむらしいですね。
あと割に合うあわないについてはもちろんお金のこともありますが、どちかというと医師などの間で割に合わないと思われているのはマスコミの扱いやそのマスコミの報道によってつくられた世の中の医師に対するイメージの悪さとそれに伴い結果が悪かったらすぐ医療過誤・医療訴訟という風潮、それと頑張って頑張って危険な症例を扱えば扱うほど逮捕されて刑事責任を問われる可能性が高くなっていることなどなどが大きいようです。やはり昨今の報道などを見ていると私もこれは非常にやる気がなくなるなぁと思うことがしばしばあります。
つい最近、医師免許がないのにレーザー脱毛をして医師法違反で逮捕されていた人がいたと思います。このように医師免許がないと結構できない行為は多いですし、一部の企業では健康などは大きな市場なので医師免許保持者を率先してとるようなところもあるようです。探せば臨床の場以外でも食べていくところ(というか楽して儲ける?(笑))は確かに色々あるようなのですが、やはり皆もともとは医療に熱意を持ってこの世界にきておりそういうのは邪道だと思っていて流れる人は今はまだ極少数(少なくとも私の周りにはいません。)のようです。しかしその熱意が認められないような昨今の事情だと今後はどんどんそういったところへ人が流れてしまってますます臨床の場が大変になるのかなぁと思っています。
実は今試験中でしてそろそろ登場はこの辺にしときたいかなぁとおもいます。(笑)お付き合いいただきありがとうございました。<(_ _)>

激しく横レスですが
通りすがり
>ラックスさま
横レスですが、ここのブログに(小さな文字ですが)長崎県の小児科勤務医に
アンケートした結果が出ていますので、ご参考まで。

http://chisato.cocolog-nifty.com/ci/2006/08/post_5cd5.html

因みに、勤務医と開業医ではやはり考え方が大きく違うと思います。


NATROM
開業医と勤務医の違い、あるいは、科ごとの違いをご理解ください。私は勤務医ですが、少なくとも私の子供には臨床医になることを勧めません。通りすがりさんがすでに指摘していますが、長崎県内の病院小児科医のアンケートの結果を以下に引用します。

>今年3月、長崎県内の病院小児科医を対象にアンケートを行った長崎大小児科医局長(当時)の宮副初司医師は言葉をなくした。「子どもが医師になるとして小児科医を勧めますか」という質問に、「はい」と答えた医師が、58人中1人もいなかったのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/ansin/an4c0101.htm





勤務医2
開業医がどうして子供を医者にしなければならないのか?実は子供が医者にならなければその医院、病院はつぶれてしまうからです。自分の代だけでは払いきれない借金を抱え、子供が医院、病院を継ぐことが前提で運営しているからです。まあ、それももうすぐ許されないことになりそうですが・・・


ばあば
 ラックスうーマンさん、じゃりんこ知恵さん、私たちの仕事も私たちの分野について知らない人から受ける質問は時として、「何いってんの、アホちゃうか?」というものもありますよね。

 でも、質問をする方からすると、その人が客観的事実と思い込んでいる思い込みから来る純粋な疑問だったりするわけです。そんな質問にも丁寧に答えることから、我々の仕事に対する理解者を増やすことになるんですよね。

 とおりすがりの医学生さん、通りすがりさん、NATROMさん、勤務医2さん、コメントを寄せていただき有り難うございます。私にも勉強になりました。

 私の医療崩壊についての投稿はしばらく続く予定です。もしお暇なときがありましたら、覗いてやって下さい。そして、批判などありましたらコメントをお願いしたいと思います。m(_ _)m

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 ふと思ったのですが、もしかして「医療崩壊」と言ってもピンとこない人も多いのではないかと思いました。なぜそう思ったかと言いますと、この間横浜で福祉コーチングの講習会がありまて、そこでちらりと話してみたところ、「具体的にはどういうこと?」という質問があったからです。

 考えてみたら、病院にお世話にならなければ、なったとしても分からないかもしれないなと思ったので、今回は「医療崩壊が起きるとどうなるか?」を説明したいと思います。

 まず、何らかの症状が出てきたとしましょう。そうした場合、皆さんはどうします?
 近くに開業医や診療所があれば、そこを利用する人は多いと思います。ここが1次救急の施設です。開業医や診療所といわれるところは、大抵の場合入院施設や大がかりな医療器械を持ってはいません。CTとかMRIなんてないですよね。そこでの診察の結果、精密検査が必要と診断されました。すると、紹介状などを持たされて、病院に行くことになりますよね。

 開業医・診療所からの紹介状や、開業医・診療所の指示により病院に出かけると、診察と共に検査を受けることになります。その上で、必要とあれば入院治療や手術となるのが普通ですね。ここでいう病院は、大抵の場合2次救急の施設です。

 で、病院で診察や検査の結果、「ここでは治療が出来ないから専門の病院にいってください」とか、「ここへ行ってさらに詳しい検査を受けて下さい」などといわれて、大学病院やら、専門病院を紹介されることも、間々あります。ここでいう大学病院や専門病院が、3次救急の施設です。

 医療崩壊とは、2次救急・3次救急の病院が、そこに勤め、診療を行う勤務医が居なくなることで機能しなくなることをいいます。つまり、開業医・診療所での医療以上の、高度な医療が受けられなくなってしまうことをいうのです。

 では、医療崩壊間近な地域で病院に受診しようとするとどうなるか? ご説明しましょう。
 場所は、岐阜県大垣市にある大垣市民病院です。 http://www.omh.ogaki.gifu.jp/

 大垣市民病院は、岐阜県西濃地区では唯一の総合病院です。
 対象人口 約40万人  そのうちの大半は山間部に点在する町村の人々
 スタッフ  1200人 うち医師は120人
 ベット数  888床
 駐車場数 55カ所!
 救急救命センター(1?3次) 年間救急受診患者数は約48,000人(全国屈指の数!!)

 とにかくデカイ病院でして、岐阜県の中で一番大規模な病院じゃないかしらん。
 
 先月末、うちの利用者さんが検査のため、看護師とここに受診しました。
 病院の駐車場に着いたのが10時すぎ。駐車場に入れたのが11時半!
 最初の検査を受けたのが午後1時半。すべての検査が終わって診察終了が5時半過ぎ。
施設に戻り着いたのは、午後6時半でした。
 検査といっても、年2回の定期検査でして、昨年まではすべてが終わるのは午後1時だったのです……

 看護師曰く、
「あんなに患者が溢れかえっているのなんて、初めて見た!すごかったよぉ!!」
「3時間待ち3分診療なんて、目じゃないね。んとに……… 疲れたぁ…」

 1時に終わるはずのものが5時半までかかった…… 
 これの意味するところは、患者数が昨年よりドッと増えた ということです。つまり、地元の町
村に医者が少なくなったか、居なくなった ということです。市民病院に来るまで3時間かけてやって来る患者も居るくらいですからねぇ。

 ちょっと古いですが、大垣市民病院を見学した医者の卵のレポートです。
 http://www2.kpu-m.ac.jp/~students/hospital/002ogksm.htm


 「3時間待ち3分診療」とは、どういう状態を示すか、考えたことがありますか?
 よく病院への批判・悪口として使われるフレーズですけれど……

 病院というところは、病棟にいる入院患者さん達に対する診察や手術を午後に当てるところが多いのは、皆さんよくご存じだと思います。ということは、外来患者さんの診察を午前中に終わらせる必要があるって事ですよね。
 で、外来患者が医師一人あたり80人以上いたらどうなります?
 診察の順番を3時間待って、3分間も診療に当てて貰えたら上等だと思いませんか?

 患者側から見ての医療崩壊の初期は、このように一つの病院に集まってくる患者数がドッと増えて、外来だと待ち時間が大幅に増え、半日仕事が丸一日かかることも珍しくなくなるのです。そして、入院待機、手術待ちが出てきます。また、3次救急該当の高度医療も受けにくくなります。近隣の市町村に通院することも当たり前になってくるでしょう。

 医療崩壊の中期、受診できる病院が地域に1つあるかないかの状態。外来受診を予約制にするところも出てくるでしょう。そうでないところも外来の待ち時間がさらに一層長くなります。入院待機・手術待ちはさらに増えてきます。早期退院を言い渡される患者さんも増えてくるでしょう。夜間診療・夜間救急医療は医師不足によりあちこちで成り立たなくなります。
 つまり、夜間は受診が出来なくなります。
 患者のたらい回しは、頻繁に出てくると思われます。
 隣の県に通院することも当たり前になるでしょう。

 医療崩壊の後期。………自分の住む都道府県に、病院は1?2カ所程度になる頃。
 病院のが依頼に受診できる患者とは、紹介状を持ち、尚かつ予約出来た患者だけでしょう。検査も予約して順番待ちです。入院も・手術もひたすら待たなければならないでしょう。待っている間に症状が重くなる、それでもベットが空くまで、手術室が空くまで待たないといけなくなるでしょうね。 ……考えたくもありませんが。

 次回は、医者が治療をどういう過程を経て行っているのかを紹介しますです。

【2006/09/24 15:26】 | 未分類 トラックバック(0) |


じゃりんこ知恵
 確かに医療崩壊の影は、あちこちにしのびよってますね。
 私、今もう一つ、仕事柄納得いかないことがあって。それは、リハの180日打ち切りについてです。半年で見込みが立たなければ、放りだす?。えげつない話しではありませんか。

はじめまして。
医療従事者。
地方の内科医です。
問題点を分かりやすく解説していただいており、
感銘したしました。

本当に医療崩壊は始まっています。
悪しき点もあったけど、曲がりなりにも人材派遣を支えて
きた医局制度をも猛烈にバッシングされたのが
きっかけだったと思います。医局解体のあとを
どう支えていくかのプランもないまま、今地方の大学は
火の車です。おまけに新研修医制度が始まりました。
医局制度が崩壊した今、制度が始まれば地方の医療から
医者が逃げるのは目に見えていました。
全く予想通りの結果です。
さらに拍車をかけたのが医療に検察・警察が介入して
きたことです。確かに一部に不良医師はいます。
しかし、今は良心的なまともな医療をしていても
結果が悪ければ罪人として罰せられるようなのです。
殺人者並みに。
医者はもともとお人よしと犠牲的精神を持つ人が
多いと思いますが、このような風潮で、医者の側の
意識も変わろうとしています。
私自身、第一は患者さんで、自分の生活は後回しでしたが
こんなご時世ではバカバカしいと思うようになりました。
悲しいですが、これが正直な現実です。

何なんだろうね?
ばあば
 じゃりんこ知恵さん、こんばんは。

>リハの180日打ち切りについてです。半年で見込みが立たなければ、放りだす?。えげつない話しではありませんか。
 
 ほんと。えげつない話です。一体政府は何考えているんだか…
 いや。政府は、何も考えてなどいないかもしれません。療養型病院についても政府はえげつないことをしています。いずれそれについても説明したいと思っています。



パニック映画の導入部分みたいです。
ばあば
 医療従事者。さん、お褒めいただき有り難うございます。

 この半年、私の関心事は医療崩壊についてです。なぜなら、まるでパニック映画の導入部分のように、表面ではつつがなくみんなが生活を送っている、その水面下でヒタヒタと足元が崩れていくそんな光景が見えているからです。

 そして、この問題を考えていると、崖から落ちた方が分かりが早いのかな? とも思ったり、それをうち消してみたりしています。で、同じ崖から落ちるにしても、予備知識があって落ちる方がマシだろうし、ひとりでも多く予備知識を持った方がいいだろうな、との思いもあってここをお借りしています。

 この問題は、患者側から突き詰めて見ると心情的に引き裂かれるものがあると、そしてそれを考えるのが、正直怖いですね。究極の覚悟を要求される、そんな気がしています。

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9・7付けで頂いていたのに、こんなに遅くなってしましました。
ばあばさん、みなさん、ごめんなさい。
たこ部屋ですね。まったく。
******************

病院の勤務医の内情について素人が知識を得るには、読書という手があります。
 マンガもありますが、この際読書と しといてください。

 まず、医者になるためのトレーニングについての実状がわかる入門書をご紹介します。
 これは10年前に評判になりましたので、知っている人・読んだことのある人は多いと
思います。
 
 森本梢子著 集英社出版「研修医なな子 1?7巻」 

 マンガ喫茶で3時間もあれば読めちゃいます。たまたま当時、外科医とおしゃべりする
機会があり、このマンガ通りか尋ねたところ、「かなり近い!」とのお墨付きをいただき

した。多分、今はもっと忙しいというか寝れないと思いますが。


 これはアメリカ版の研修医なな子の本。といってもマンガじゃないけど。んで20年前

本だけど。医者になるためのトレーニングの厳しさのよくわかる本で、面白い本です。

 ニール・シュルマン著 三笠書房出版「ついに……僕は医者になった」

 この本はもう売ってないかもしれんなぁ。図書館にならあるかもしれないです。


 これまたアメリカの、現役外科医の話です。これも20年近く前の本だけど、医者の、
医療の、厳しさがひしひしとわかる本です。ネットで書評を漁ったら下記のものがヒット
したので、紹介します。現役医師が良く読んでいるそうで、さもありなん と思いまし
た。
システムは違うけれど、現場の状況は日本も似たようなものですから。 

 「外科医」 リチャード・カリール薯 平凡社

アメリカ・ヨーロッパ医学部留学センターhttp://caems.main.jp/column4.htm
  ■ 12.10.05 医学部留学する前に読んで欲しい本 から

 この本は、実は多くの現役の外科医が読む本である。著者のリチャード・カリールはミ
ドルクラス出身者で、シカゴのクックカウンティホスピタルで外科のレジデンシーとして
経験を積む。クックカウンティホスピタルはシカゴでも底辺の患者を受け入れている非常
にラフな病院で、そこで経験する患者や他の医師とのドラマがノンフィクションで描かれ
ている。文章が非常にリアルでまるで映画を見るような感覚で、一気に読める。食費を
削ってでも読んで欲しい。

 

 さて、勤務医の激務についての証言を2つ紹介します。

2006年4月25日 衆議院厚生労働委員会 奥田美加先生発言
横浜市立大学附属市民総合医療センター母子医療センター産科の現場責任者で 主任の奥
田と申します。当センターは、地域の周産期の基幹病院として、ハイリスク分娩を引き受
ける とともに、教育病院として、正常分娩の予約も一定数引き受けております。

当 センターの一勤務医として、現在の産婦人科医師の勤務状況の実態について述 べさせ
ていただきます。

この一年程度で、周辺の分娩取り扱い施設が相次いで分娩を取りやめました。 当セン
ターは、早産などのベビーを受け入れるNICUを持ち、救命救急センター を備えておりま
すので、いかなるリスクの妊婦さんでも引き受ける必要があり ます。

本来は、高度のリスクを有する母体を引き受けるために、中程度のリス クやリスクのな
い方は他の施設で多くお引き受けいただきたいのですが、その影響で、分娩予約が殺到
し、あっという間に分娩予約枠が一杯になります。

重 い合併症をお持ちの方で、他の施設での分娩が極めて困難なケースは無理にで もお引
き受けしますが、昨今は少しでもリスクのある妊婦さんを抱えたがらな い施設も増え、
どこにも行き場のない中程度のリスクの方もお引き受けせざる をえません。

さらに、どこにも受診したことのない妊婦さんがいきなり陣痛が 来て救急車を呼ぶよう
なケースも、最近ではどこでも受けてもらえず、すべて 周産期センターに集中しますの
で、病棟が満床でもとにかくお引き受けして対応 します。限界以上の分娩件数をこなし
ているのが現状です。

先日のある一日を例にお話します。
午前中は外来業務、午後に帝王切開の予定が2件、午前10時頃、他院から、 重症患者
様の受け入れ要請がありました。

当院に到着したのが13時頃、緊急 を要する状態でしたので、予定の方より先に手術室
に入院したのが14時頃、 帝王切開手術が終了し、もとの予定の方が手術室に入室し、
16時52分に分 娩、予定二番目の方はじつに夜の19時に分娩となりました。

その執刀をして いる最中、病棟で分娩進行中の方の胎児の状態が良くない、とのことで
これも 帝王切開になる、との連絡が入り、他のメンバーで平行して帝王切開術を開 始、
19時57分にそのベビーが出生しました。当センターの手術室は全国で も有数の忙し
さだと思います。この間に病棟では別の分娩もありましたので、 スタッフ全員が21時
過ぎまで残っていました。

なお、私は前日の当直医で、 前日の朝から当日の朝までフルに働き、午前中の外来をこ
なし、4件の手術の うち2件の手術に指導医として入り、すべて終了して帰宅したのは
23時も過 ぎており、翌日もまた当直業務でした。

このほか、深夜勤務帯、すなわち0時から8時までの間に8件のお産があり、 担当医が
持病の喘息発作を起こしてしまったり、夜中の2時過ぎ、18分間の あいだに3件の分
娩が重なったこともあります。

夜中に他院から搬送された緊 急帝王切開の最中に次の依頼の電話が入り、続いてお引き
受けして帝王切開を したこともあります。大出血で救命処置を必要とする患者様の横に
切迫早産の 母体搬送の方が運び込まれることもあります。

分娩は、胎児心拍モニターを監視しながら行いますが、そのモニターのパター ンが急に
悪化することはよくあり、必要と判断すれば患者様を走って手術室に運んで帝王切開をし
て、決断から10分ほどで赤ちゃんを出すことも日常のことです。数秒から数分で対応を
決断しなければならないストレスはかなり大き いものです。

もちろん、24時間365日同じように忙しいわけではありませんが、分娩は 時間を決
めて出来るものではありませんので、物事が同時に重なって起こるこ とはしばしばあり
ます。当直帯に2?3名の医師での対応は不可能なことがしばしばです。

一睡もせず、どうにか乗り切ったとしても、疲れきってしまい、 当直医は翌日すぐ帰ら
せてあげたいのですが、業務をこなすには人手が足りず、少々の仮眠を取れればいいほう
です。代休はありません。

病院からは夜勤 明けは休むよう言われておりますが、業務の量からとても翌日休んでい
ては臨床の業務がこなせません。とりわけ、責任を負った立場ではなおさら業務を減 ら
せないのが通常です。2交代や3交代にする人手もありませんので、当直医 は36時間
連続勤務も通常のこととして働いております。

また、大学病院ですから、学生の指導にも時間を割き、若手医師の教育や、医療の進歩に
貢献すべく臨床データを学会発表するなどの努力もしております。

そのデータをまとめたり、若手の発表の指導をしたり論文の添削をしたりする のは、日
常業務が終わってからですから、やっと医局の机に座るのが21時過 ぎ、それからパソ
コンをたたいてデータ処理を夜中の2時過ぎまでやり、一度 帰って翌朝7時には病院に
いる、そんな日々も決して珍しくありません。

他に、患者様の診療に必要な文献を検索し読む、という時間も同じように深夜 となりま
す。さらに私の役割では、院内の委員会や対外的な委員会も数多くあり、月に少なくと
も数回はそうした会合に出席する必要があります。出るだけでなく、これら会議の準備
が必要な場合はそれも深夜休日の仕事です。

平日に一回当直があり、他に緊急手術や患者家族とのお話、診療の下調べなど のために
残り、休日に帝王切開で呼ばれて一回登院、という平均的な週の在院 時間をざっと計算
してみると、85時間くらいになるでしょうか。4週間で340時間です。これに休日の
当直が2回あれば340+48=388時間。

フルメンバーが揃ってやっとこの事態ですから、女医さんが妊娠しても、やっ と規定ぎ
りぎりの産休を取らせてあげるのが精一杯です。

私もそうですが、た いてい産後8週で仕事に戻ります。産休中に、欠員の補充はありえ
ません。育休を取る体制もありません。WHOは「6ヶ月間は母乳以外何も必要ない」と
言っており、当院でも母乳育児を推進していますが、当の産科医自身が、それを完遂でき
ません。

私には小学一年生になる息子がひとりおりますが、そんな日々ですから、息子の起きてい
る姿を何日も見ない、ということはしゅっちゅうです。今日こそは、と思い切って早く帰
れる日でも帰宅時間は精々20時です。

土日祝日も家 にいられず、たまにいるときは緊急の際に呼ばれて駆けつける自宅待機で
すか ら、食事中に携帯電話が鳴り、やっといてくれたおかあさんがまた出かけてしま
う、と半泣きになっている息子を置いて病院に向かうこともしばしばです。

病院から電話をかければ「ねえ今日帰ってくる?」と聞かれます。我が家は、71歳にな
る私の母が老骨に鞭打って息子の面倒と、私が全くやらない家事とを一手に引き受けてく
れますので、こうしてフルに働くことができ ますが、そういう家族のバックアップがな
い女医さんが同じように働くのは難しいです。

こんな生活をしている折に、大学の医局を離れて健診センターに就職した人 は、9?5
時で土日は休み、という生活で、我々より多くの給料を貰っている、という話を聞くと、
もちろんお金のために働いているわけではありませんが、なんだかガックリときてしま
い、使命感だけではモチベーションを保ちき れなくなりそうになります。

妊娠し、子を生み育てるという人々を守るべき立場の我々が、自分たちのこれ らの生活
を守れずにいます。子供を産んでお母さんになった同僚や先輩後輩 が、一線を退く選択
をして、辞めていく方もたくさんいます。

子育てと産科医 が両立できなくなったとき、産科医であることを切り捨てる、その気持
ちも痛いほど分かりますから、引き留められません。女医が増えるということは、一定の
確率で辞めていく人がいるので辞める人数が増えることになります。

 ※はんぞ???注:29歳以下の全医師数の約40%が女医です。

そして現場で、そこでできる範囲内で最善を尽くしても、結果が悪い、という ことは、
ある一定の確率で起こります。

妊娠分娩というものが、たった数分で 急変し母児の生命に関わることがある、というこ
とは我々にとって常識です が、それに遭遇した患者様はそれが全てであり、その悲しみ
と怒りの矛先が医療者に向くのもよくあることですから気持ちはわかります。

たとえそれが、どんな対応をしてもその子を救えなかった、という事態であったとして
も、しば しば我々を責められます。それも患者様のお気持ちですから、誠意を持って対
応しております。悪気は全くありません。手を抜かず精一杯やっています。

産科には一生懸命今の医学の最良を尽くしても結果が不幸になることがままあります。と
りわけ救急を担う我々にはなお頻繁に起こります。でも結果が悪ければすべてそれが罪に
なり、我々は罪人として責められる、というのなら、悪い結果に なる可能性が誰にでも
ありうる分娩自体が不可能になります。

このことは熱心 に産科に取り組む医師ほど悪い結果に接する機会が増え、さらにやりき
れない 報われなさを感じることが多くなっています。

労働条件が他の科に比べて劣悪なこの仕事に好んで就こうとする人は、今どきの若い方に
は特にいらっしゃらないのではないでしょうか。

このの春に初期研修を終了した研修医は神奈川県に約600名いるそうですが、産婦人科
を選択 したのは10名です。すでに産婦人科医を選択した人の中でも、周産期は敬遠 さ
れます。

昨今の分娩施設減少を受け、当センターで分娩回数を増やすべく整備しようとすれば、
「周産期があるせいで産婦人科医を目指す若手医師が減っていくからこれ以上忙しくする
な」と、仲間から悪口を言われる始末です。

横浜市立大学の産婦人科に所属する医師は、毎年10人前後ずつ辞めるか、フ ルの勤務
から退きます。もっと労働条件と報酬のいい職場に移る人、産科自体 を辞める人、完全
に仕事を辞める人、昼間の外来業務だけ手伝う人、子育てのためにしばらく休むと言って
戻れない人、分娩を取り扱わないクリニックを開 業する人、いろいろです。

産婦人科医の全員が、分娩を扱っているわけではなくなっています。産科医が疲れきって
やめていき、人数が減ってさらに忙しくなって疲れて辞め る、という悪循環を断ち切る
には、分娩施設を整理し、一分娩施設あたりの産科医の数を今の2倍から3倍以上に
集約する必要があると思います。

早急に労働環境を改善しないと、若手は産科を選びませんし、やっている人もどんどん
辞めていきます。

 ※はんぞ???注:産婦人科医の1/3が60代といわれています。

産科医療は誰かがやらなければならないですし、産科を専門としている私は、 現在の仕
事は確かに好きですが、こんな状況ですので、自分が辞めもせず 死にもせず に何とかや
れているのが不思議です。

いま、頑張っている産科医は、も う少しなんとか踏ん張れると思いますが、次世代が増
えなければ、もう限界だ と思います。

以上、現場で働く一産科医として述べさせていただきました。ありがとうございました。

※読みやすいように、適時改行を入れさせていただきました。


 次は、当直36時間勤務についての証言です。(当直は本来、病棟の患者のためのもの
で夜間診療は想定外です。ほぼ、ボランティア状態。夜勤ではありません!)
 元検弁護士のつぶやき 医療崩壊について考え、語るエントリ
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/02-160656.php

36時間勤務について知らない方がほとんどだと思うので念のため・・・。

私は今は当直はして居らず、医者としてはかなり暇な部類に属するのですが、当然数年前
までは36時間勤務を週に最低1回(1?2年目の研修医の時は1週間連続勤務有り)こなして
いました。その経験から言わせて頂くと例えば朝8時から働いたとして翌日の午前2時くら
いまでは、まあ、普通に働けます。しかし、月に何度も当直を続けていると次のような状
態になります。

例えば、4時くらいになると翌日も仕事をこなさなければというストレスからイライラし
てきて患者に当たるようなこともあります。
寝られない日もありますが、多くは仮眠3時間といったところでしょうか?しかし、断続
的に仮眠のため3時間寝た、というよりむしろたたき起こされてストレスは増大する一方
です。

翌日朝9時からは仕方なく外来へ行きます。ほとんど眠れなかった場合、その日の夕方が
地獄です。突然睡魔が襲ってきます。そしてそれが点滴を入れているような時は患者さん
がぞっとするような事態が起きます。判断能力が無くなるのです。間違って点滴するなん
てことも何度か経験しています。幸い胃薬など間違ってもたいしたことのない薬剤だった
りするので事故にならずに済みますが、体に影響のあるような薬剤だったらと思うと今で
もぞっとします。

その後も勤務を続けていると思考能力がほとんどなくなります。私の友人など患者の点滴
針を誤って自分に刺しました。

まさにストレスかかりまくりの状態です。本当にたまにしか起きなければ上記のような状
態はあまり起こらないと思いますが、これが月に何度も起こることを考えてください。

そしてこのようなストレスは病気の原因となります。
例えば、メタボリックシンドロームは何も肥満だけで起こるわけではありません。仕事の
ストレスで突然死ということを聞きますが、ストレスによる動脈硬化もメタボリックシン
ドロームの一つです。

私自身、若くして体を壊し、勤務を大幅に減らしました。大学病院だからこのようなこと
は可能ですが、地方の病院だったら病気してでもこき使われるでしょう。

アメリカの研究では16時間以上(だったような記憶がありますが、定かではありません。
どなたか助け船を!)働くと、飲酒しているのと同じような状態になる、と言います。こ
のような勤務形態が良いわけは当然無く、勤務時間について研修医ではかなり緩和されて
きましたがそのしわ寄せが中堅医師にかかってきて、今は病院は修羅場と化しています。
本当、40歳代の医師が当直をやっている姿を見ていてかわいそうです。

No.132  Posted by: yama | 2006年09月06日 20:29 (Top)



 とりあえず、お二人の証言を紹介しましたが、どのようにお考えでしょうか。
 今、日本中の病院の勤務医の労働条件を労働基準法に遵法したものにすると、
 すべての病院は、機能しなくなるそうです。


「三千万なら大学病院の助教授が来る。報酬高すぎ」産科医消滅の危機、実は中傷が原
因……三重・尾鷲
http://ooame5520man.web.fc2.com/index.htmlより

三重県尾鷲市 産婦人科医消滅の危機 関連記事まとめ から
http://ooame5520man.web.fc2.com/sonotakijimatome.html

尾鷲の産科医 不在に 来月から(2006年9月1日 読売新聞)

医師訴え 「休み年2日だけ」
 同市内では、市立尾鷲総合病院が唯一出産ができる病院だったが、昨年7月、三重大が
産婦人科医の派遣を打ち切って不在となったため、市が同年9月、開業医を常勤医師とし
て招いていた。

 しかし、病院の仮眠室を改装した部屋に泊まり込みで、休みは大みそかと元日に取得で
きただけ。しかも、患者があれば24時間対応を迫られるため、医師は契約更新に当たっ
て、同額の報酬に加え、月1回の週末休暇(3日間)と、取得できなかった場合の手当支
給を要請した。

 市は報酬を、これまで通りに据え置くことに同意したものの、休日については、代替要
員がいないことから、これまで通りの勤務を要請し、手当の支給も難しいと回答した。

……以下略


 文字通り尾鷲市は、産科医に対して24時間365日働くのが、高給を取っているのだ
から当たり前 と思っているとしか思えませんが、いかがでしょうね。

 議会の議事録も掲載されていますが、読んでてがっくりするものばかりです。
 医者は人間だと思っていたんだが、役人や議員さんは、医者は24時間365日 常に
変わらず働けると思ってるんやろか? 自分達もやれるからと思っていってるんやろか?

 5000万円貰っていても、こんな勤務じゃぁタコ部屋に押し込められた奴隷と思うん

が、私の感覚がおかしいのでしょうか?????

【2006/09/16 21:16】 | 未分類 トラックバック(0) |


じゃりんこ知恵
 ばあば様のご意見いつも参考にさせてもらってます(介護従事者として)。めったにコメント入れさせてもらいませんが、いつも読ませていただいてます。

今夜、NNNドキュメント'06は必見です!!!
ばあば
NNNドキュメント'06
9/24/日 放送

「消える産声 産科病棟で何が起きているのか」
産科病棟の閉鎖が加速している。
中京テレビの調査では、この5年間で東海3県の地域総合病院(大学から医師を派遣されている所)から21の産科病棟が消えた。
若手医師が産科を選ばない理由は、これまで「勤務環境が厳しい」「医療訴訟を受ける率が高い」などだった。
しかし事態はさらに深刻化した。
2年前から、大学を卒業した医師が自由に病院を選び就職できるようになり、大学(医局)が地域の病院に計画的に医師を派遣するシステムが崩壊したのだ。
更に今年2月、福島県立病院の産科医が逮捕・起訴されたことも打撃を加えた。






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医療の問題を考えていて、ふと考えたことがある。

国のサービスの基準ということだ。
戦前から戦後にかけて、いや明治からだろうけども。
公共サービスがめざしたことは、人々が餓えない、凍えない、字が読めて、計算が出来て。。。
という国民のある程度のラインをキープするということだ。義務教育やライフライン、国民皆保険などがその実践だ。予防接種もそうだな。

それは実現したと思う。
ほとんどの子が高校に行き、大学でも50%の進学率だ。(わたしのときは20%前後だった)
お産も、その一例だと思う。かつて、地域の中で行われたお産。それが病院で産む変化して周産期の死亡は著しく減った。

これをナショナルミニマム(国基準)という。

しかし、豊かになった生活と意識、それと裏はらに破綻した財政の状況下で、各人各様の「もっといいもの」が求められる。お産でいえば、今日中に生みたいという過剰な介入や、自然を求めるお産だ。

ナショナルミニマムを達成するシステムは一律の給食のようなサービスを提供するのだ。そのシステムにもっとを求めても無理だ。そんなところにも、この問題のアプローチはあるだろう。
義務教育の人気が落ちて、お受験が流行るのも同じだ。学校の先生はくたくた。塾の先生もくたくた。M教員(問題教員)とよばれる人のなかのウツ病者は増えているときく。

現場のサービス提供者とサービス需要者が手を結んで国の一律的なデザインに抗して独自のデザインを組み立てればいいわけだ。それがシビルミニマム(市民基準)となるはずだ。医療者は、地域の行政職と市民にこそ、訴えるべきであって、市民を敵にすべきではない。

このブログのやり取りをみて情報を下さった方がいる。実践例の紹介だ。
武蔵野市医師会の実践例
http://www.musashino-med.or.jp/city/city.html

ここの「市民の皆さんへ」から「日本の医療を正しく理解してもらうために」へ進んでください。
こういう呼びかけをこそ、10年20年続けるしかないわけです。

その方のコメントから引用させて頂きます、カッコ内は竹薮のコメントです
『これまで勤務医から発信がほとんどなされなかったことは、御指摘のとおりです。勤務医が忙しすぎることだけでなく、医師のメンタリティや歴史的、制度的背景にも原因があり、コミュニケーションおよび知識の非対称性(医師は市民にいってもわからないと思っているということ)をすぐには改善できないのではないかと危惧しております。しかしながら、私の周囲の多くの真面目な医師たちは、患者さんや国民の皆様に現状を正しく伝え、共に考えていかなくてはいけないと真剣に考えています。医療関係者と一般の方をつなぐNPO立ち上げに関わりつつありますが、前途多難です。』

専門領域の問題はそこにいる人にしかわからない。竹薮が生徒の親に怒るのと同じだ。しかし、怒りは伝え続けなければならないし、伝えられなかったら伝え方が悪いのだという基本姿勢は崩しては行けない。医療者と被医療者をつなぐ組織は大事だと思う。コーディネーターというものだ。そういうものを地道に立ち上げてる。一つの院内で実践していくしかないのだと思う。

だれか圧倒的な人に、理解を得て一刀両断にやってもらおうと思ってないか?
自分でやるしかないのだ。

その意味で、医師も教員も「運動論」「組織論」を学んでおくべきだったね。
医師は医療しかしらないカッコ付きの「専門家」なんだ。だから発信できなくても当たり前なのかもしれない。その意味で、この方の試みを応援したいと思う。竹薮でできることがあれば、メッセージください。やりますよ。

【2006/09/07 23:47】 | 未分類 トラックバック(0) |

はじめまして
Dr. I
はじめまして。
循環器内科医のDr. Iと申します。

発信するのは専門ではありませんが。
少ないながらも、現場の医師の声を伝えられたら良いな、と思ってブログをはじめてみました。

今後とも、よろしくお願い致します。

ようこそ
竹薮みさえ
いらっしゃいまし。
こちらこそ、よろしくお願いします。
早速二つ記事をふたつ拝読しました。わたしは心筋梗塞の系統です。
父も兄もきゅっとなくなりました。わたしもそうだと思いますが、あと20年くらいは元気で生きていようとおもっています。先生にお世話にならないようにね。

そのためにはメタボリックシンドロームから抜けなくてはなりません。
がんばります。

話がそれました。よろしくお願いします。

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