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おはようございます。
今日は午前中に西東京市ひばりが丘駅南口で「蟻の兵隊」のチラシ撒きならびにチケット販売いたします。声かけてくださいね。また、午後は市内を政策カーでまわる「うぐいす」をします。声がつぶれているので実態は「からす」ですが。合間の「蟻」「蟻」いいますので、聞こえたら手を振ってやってください。よろこびます。

「蟻の兵隊」西東京自主上映 10/14 pm6:30会場 7:00上映開始
              こもれびホールです。
連絡はこのサイトの右下 メールフォームからください。
今週は仕事がインターバルで休み週だったのに、結局ばあちゃんの番でなにもできなかったなあ。
勝手連更新しました。http://wind.ap.teacup.com/arinoheitai/94.htmlしばらく、蟻の兵隊のまとめをしたいと思います。

さて、最近、カウンターがむちゃくちゃまわる。それはなぜだ?と訝しくおもっておりました。
わかりました。とある評論サイトに、「ばあばさまからの投稿」のことが貼付けてあるのです。
いやよかった、2チャンとかじゃなくて。

というわけで「元検弁護士のつぶやき」からお越しの皆さま。
何かのご縁ですから、ばあばさまからの医療崩壊記事だけでなく、その他も読んでらしてください。竹薮は一般的な主婦というわけではないですが、主婦であることにこだわりを持ち、主婦として在り続けようとしているものです。主婦の立場で発信、受信することを心がけております。またそのことにご賛同頂いて地味ながらきちんと読んで頂くROMの皆さまをであって、サイトを続けて参りました。「一般人」というものは、多く専門家の方々からは愚かだと馬鹿にされておりますが、かつて専門家、今もある分野では専門家である竹薮は、そのような意識のあり方をはげしく危惧して「問題主婦」を名乗っております。折角いただいたご縁が実り多いものになりますようにねがってご挨拶させて頂きます。

もう一点。気付いたこと。
皆さまが書き込んで頂く、コメントのハンドルについてです。
医療従事者、一般人、勤務医、通りすがりの医学生、通りすがり。。このようなハンドルで発言することって、サラリーマンの背広のよう。個人の人格を表現することを避けておられようです。ここは、そういう表現者はない場所でした。もちろん、ネットコミュニケーションはどのようであってもいいのですし、皆様方がおられたところは、そういう徹底した匿名性の世界でしたでしょう。しかし、問題主婦はそうではありません。あるいは女がそうではないのでしょうか(そこまで分析せずに書いています)

たとえば「らっくすうーマン」さんの「うー」が「ウー」でないのはなぜ?そのように思うことで、「ラックスうーマン」さんへの想像力が湧き、肉体を持った個人と話し合っている気になります。ここの御常連さんたちの情報はIPアドレスとかそういうことではなく、ご家族の病気の情報やお子さんの入学や浪人や、問題行動や、運動会の成果やそんなことがそれぞれの胸の中になんとなく共有されている場所です。

もしよろしければ、医療関係者が情報をおとしていくのではなく、医療者であることは皆様方の人格の一部なのですから、そのような人格をもった個人として表現して頂ければと思います。そうすれば、皆さん方にとって、他サイト/他ブログとは違う「問題主婦」の意味があると思います。如何でしょうか。もちろん、それは意にそわないと言うことであれば、背広のまま、白衣のまま発言して頂くのも、また結構です。ネットコミュニケーションはたとえば、新宿の地下街での立ち話のような者ですから、隣の会話もまた聞こえるし、こちらの会話もまた筒抜けですから。

では長々お待たせしました。
ばあばさまからの投稿です。

*****************

 さて、今回紹介する「外科医」の舞台は、シカゴの中心にある教育病院です。教育病院は日本で言うと大学病院に相当するようです。つまり、医者の卵達の修行の場です。

 そして、教育病院にくる患者さんは主に州の医療給付制度の恩恵を受けている生活保護受給者の人々です。医療費はすべて給付金によって賄われます。そして、中流の患者と同等の医療が受けられ、大抵の教育病院は最新の施設と優秀な専門医を揃えられているのです。

 どうかすると中流の患者さんよりも良い医療を受けるかもしれません。というのも、アメリカには日本のように国民皆保険制度というものはなく、中流の患者さん以上の人々は、各自懐具合に従って医療保険に入っているからです。

 どういうことかというと、保険によって賄われるのは医療費の一部に過ぎず、受診する病院も、どうかすると治療の内容にも保険によっては制約を受けるからです。そして、受診する病院も大規模な教育病院ほど設備が整っていないところが多いようなのです。

 ※「外科医」が書かれたのは今から20年前ですが、たぶんアメリカの医療制度に変化はないはずですから、上記の説明は現在にも通用するだろうと思います。


 登場人物の紹介をします。
 主人公「私」は、著者のリチャード・カリール医師(助教授)スティーブ・サンドボーンは、カリール医師が担当するレジデント(カリール医師のプレッシャーに神経性下痢になったりする内気な医師)

P134 (ある晩秋の深夜)
 後始末をしてから、ミッチ・ホランダーを探しに行った。だが、ミッチではなく、スティーブ・サンドボーンに出くわした。スティーブは、それまでヒーローの部屋で仮眠をとっていたのだ。 ※ヒーローの部屋=研修医達の控え室

  出会ったとき、彼は病院の前に立って、駐車場と、その隣の道路を眺めていた。そこで何しているんだ?」と私は聞いた。「数えているんです。この4時間に4回お産があったんですけど、後どれくらい残っているか見ようと思って。あと二つはありそうですね。」

 スティーブが指さした方に目をやると、ライトのついた車が二台見えた。車の中には、生活保護を受けている妊婦がいる。彼女達はクック郡立病院でお産をするように決められているが、この病院の方がこぢんまりしていて親しみやすいので、こちらに来たがる。

 車の中で陣痛が始まるのを待ち、始まると救急室へかけつけるのだ。こちらは面倒を見ないわけにはいかない。市も「緊急のお産」の費用を払わざるを得なかった。

「あそこを見ろ。もう一つありそうだぞ」と私は言った。
 スティーブはうめき声をあげた。「一晩に7回も。ちびが7人か」。首を振りながら言う。
 (略)

 停めてある車からお腹の大きな女がよろめき出て、2、3メートル離れた救急室の入口へ走るように向かうのを、2人で黙って見つめた。駐車場で枯れ葉が乾いた音を立てて舞っている。
 (後略)


 これ、今日本全国のお産難民の方々の行動といっしょですよね。日本の場合は救急車によることが多いですけれども。

 横浜では今、妊娠6週になって病院に行ったんでは遅すぎるそうです。妊娠反応が陽性になったら即、必死になって生む場所を探さないとイケナイ状況になっているとか。

 産む場所がどこにも見つからない「お産難民」が神奈川県全体で年に何千人も発生しているそうで、数年以内には、「お産難民」が神奈川県だけでも年に1万人を超すだろうとの予測もあるとか。

ある産婦人科医のひとりごとより
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/10/post_3462.html



ETV特集:なぜ医師は立ち去るのか?地域医療・崩壊の序曲?10月7日放送?
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html
ここで産みたい?産科医不足・試される現場から?2006年10月9日放送?
http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

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【2006/10/07 09:03】 | 未分類 トラックバック(0) |

ばあばさま
あいね
ばあばさま、はじめまして。

医療崩壊についてずっと読ませて頂いておりますが、自分の頭の中を一度整理するためにコメントさせてください。
私は神奈川で生活をしていて、お産も居住地にある市立の病院でしました。約10年前の話ですが、その時でも妊娠したとわかった時点ですぐに出産の予約を入れないとその病院では出産できないと病院の方から言われました。結果としてすぐ予約を入れて市立の病院で出産したわけですが、その当時は実家に帰って出産するという選択肢もあり、あまり危機感を感じてはいませんでした。
ところが、現在ではその"実家に帰って出産"も危ぶまれる状況になっていますよね。(気づいていないだけで、ひょっとして当時から危なかったのかもしれませんが。)今、私が妊婦だったらと思うと心底ぞっとします。また、早ければあと10数年で我が子も妊婦になりうるわけで、お産に関しては今現在自分が当事者ではないからといって安心しているわけには行きません。当然、今この瞬間からわが身に降りかかってくるであろう病気や怪我等に対してはなおさらな事です。もう少し時間をかけてじっくり考えてみたいと思い、ばあばさまからの投稿1から読み直したり、リンクのページにいったりしているところです。
先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。100%医療を受ける側である私が出来ることといえば、今のところこれくらいでしょうか。
悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。
よろしくお願いします。


ばあば
>先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。
>悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。

 あいねさん、まず何よりも知ることだと私は思います。そうでなければ行動に移せませんから。それに、この問題は突き詰めれば、それぞれの死生観にも関わってくるのではないかと、恐ろしいことに私はそう思ってもいるのです。

 今の状況は、パニック映画で言うと導入部分でしかありません。

 映画では、導入部分で危機感を持った人間だけが最大の危機を脱し、問題解決の糸口を掴むことができます。その他の人々は、運がよければお相伴に預かれることになっています。

 私が知り得るところをこれからも紹介したいと思います。そして、患者側の人間としてとりうる方法を模索したいと思います。ある意味、私は炭鉱のカナリヤですから。

 あいねさんも、どうかこの問題に常に関心を持ち、アンテナを高く掲げてください。そして、隣近所の人々にもさりげなく、伝えてください。

NHK教育テレビ
竹薮みさえ
見ましたよ。
きつかった一日の最後に。
みんな一緒と各人各様の項に書きましたが、やはり市民がビジョンをもつということでしょう。あの瀬棚の診療所は、住民との組合組織にして、行政から補助をとりながら、自主経営するのがいいでしょう。国や自治体の任せてないで、あれだけ市民が立ち上がっているのなら、それが出来ると思うな。

夕張の副院長がいてったけど、厚労省は国民に死ねと言ってるんですよ。自己責任でね。その象徴が尊厳死です。ビジョンを持った医者と市民の恊働。これは早晩流行りになるな。きっと。

ばあばさま
あいね
こんばんは。
コメントありがとうございます。
ばあばさまの投稿を読みながら色々な思いが交錯して、自分の考えをどのように方向付けしたらよいのか少しもてあましていたのですが、コメントを頂いたことで糸口が見えてきたような気がします。(錯覚でないことを祈ります。)
"先ずは知ること。"ここを心に留めて関心を持ち続けていきたいと思います。隣近所の方々にさりげなく伝えてあげられるようになるためにも。
お忙しいでしょうが、引き続きの投稿をお待ちしております。





ばあば
>ビジョンを持った医者と市民の恊働。

 そうです。医療関係者の方々と住民はタッグを組んで、必要とあらば、政府・行政に当たる必要があると思っています。

 しかし今、あまりにバランスが悪いのです。
 今のままではタッグは組めません。

 患者側の立場である我々は、もっと色々なことを知らなければならないと思います。さもないとバランスが取れないと思っています。なにせ現状では、「医療崩壊が来るぞ!」と警報と悲鳴を出しているのは、医療関係者、医師の方々だけですから。

 「心の僻地」を作り出しているのは、患者側の我々です。

 へへっ、「心の僻地」という言葉をいつ言おうかと悩んでおりました。番組の中で井関氏が説明してみえたので、安心して使えます。なにせこの言葉、患者側としては耳に痛い言葉ですもん。

そうでしょうか。
竹薮みさえ
今回の場合、いつもぶつかるのがそこです。
「患者側としては耳が痛い」ので、医療者の人たちが「使うのがはばかられる」というかぎり、心の僻地を作り出すのは、医師も同罪です。
今日の医療者達は、患者を育ててきました。だから患者の方が医者に歩み寄って悪うございました。不見識でしたと謝らにゃあいかんのですか?今日のウツの男性はやって当たり前のことをようやくやった、おそすぎたんですか?

ばあばさんの投稿にコメントする医療者のかたたちはどうしてばあばさんにむけて語るのですか、ばあばさんはもうすでにわかってる人なんですよ、そういう味方にむけて語る必要はない。ここをROMしてる見えない主婦達にむけて語るべきなのに、ばあばさんに向けてかたる。ここをROMしている方々という呼びかけがない。竹薮の記事に反応して下さったのはどDr.Iさんのみです。いささか挑発的な今日の竹薮の記事にコメントくださらないのはなぜ?

内輪でだべるな。外に向かって語れ。誰と何を共有したいのか。方向性を語れ。今日のコーディネートしていた行政学の人と、竹薮のいうことは同じです。で、竹薮は患者の側だから医療者に向けていってるんです。医師もまた「心の僻地」をこれまでさんざんつくってきた。「いい薬つかいますからね」という医師が山ほどいる。それでレセプト開示だの、インフォームドコンセプトだのという動きが出てきた。それを棚に上げて、行政の画策もあって医療崩壊するのを、まるで「患者があほだから」みたいに言われるのは納得いきません。

「お医者さま」が医療者として、地べたにおりてきてくれないとどうしようもないし、「患者さま」などという妙な持ち上げ方をして患者を消費者にしてしまった医療マネジメントもまた批判されねばならないでしょう。
「心の僻地」というのを井関氏は行政や医療者に対してつかっていたでしょう?
「医療過誤」というある意味でまちがった叫びを、患者に正しく叫べと誰が言えるのでしょうか?その叫びは実はこういう風に叫ぶべきだったといままで解釈してこなかった、医療関係者(行政も、プロも、そして患者と医療者のコーディネーター)の全てが患者と敵対的な立場にしか立たなかったってことじゃないですか?

ばあばさんは尿意を感じない人が失禁することを責めない。それと同じです。尿意を感じない者と共存していくには尿意を要求することは出来ません。患者は失禁してなんでもかんでも訴える。それは医師がなんでもなおしてくれるという幻想故です。その圧倒的な医療者のフリをなげくのはいい。しかし、患者に尿意を要求するのは間違いです。認識に余裕のあるものが、(つまり問題を良く知ることのできるものが)苦労を負うのは、世の中の恒ではありませんか。認識に余裕があるからこそ、発信の責任があるのです。幸いわたしたちはある程度「尿意」を感じることが出来ます。幻想を放置せずにもっと早く対応していれば、ここまでひどくはならなかったかもしれません。たとえば在宅で死にたいといったのは患者です。そして在宅での死がデザインされた。そういう正しい叫びもあったのです。そしてその二つの叫びは同根です。

遅すぎた「医療崩壊がくるぞ」という叫びにおいて、なぜ「そこまで叫べなかったのか」という総括がないと、患者と医師の恊働はくめないでしょう。

竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。


元田舎医
>>管理人さん
>竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。
というより、もう少し当該問題について知識を得てから吠えられた方が説得力が増すのでは。
今の現状認識では読んでいてあまりに痛々しいので医療者側が生暖かくスルーしているだけのように思います。
探す気にさえなれば資料などいくらでも転がっています。
調べる気にさえなれば。


じゃりんこ知恵
皆様、白熱してますね。個人的には、こうゆう雰囲気好きです。要は、安心して産めない(産科医不足)、安心して育てらない(小児科医不足)現状で、いくら手当てをねんごろにしても、少子化対策にはならないだろうと思います。


ばあば
 私が医療崩壊に関心を持つに至ったのは、案外とそれまでの読書歴がものを言ったのかもしれません。医療関係で読んだ本。

70年代に読んだのは、
 リチャード・フッカー著「マッシュ」3巻
 なだいなだ著「お医者さん~医者と医療のあいだ」
80年代は、
 田村京子著「北洋船団女ドクター航海記」
 川人 明著「正直な誤診のはなし」
 庭瀬康二著「ガン病棟のカルテ」
 吉利 和編「医師の生命観」
 それに、以前紹介した「外科医」「ついに…僕は医者になった」
90年代は、
 別冊宝島152「病院で死ぬ!」
 入澤俊氏著「こちら泌尿器科110番」
 そして以前紹介した「研修医なな子」全7巻

 改めて本棚から手にとってぱらぱらと見ていたら、医療崩壊に到るまでの諸問題は、すでに70年代には書籍として世間に公表されていたんですね。すっかり忘れていましたが。

 なだいなだ氏の「お医者さん」には、医療崩壊に到るまでの諸問題がさり気なく書かれていました。この本、毎日出版文化賞受賞なんですね。でも、この本読んだ人、きっと少なかったんでしょうね。   

非医療者の幻想
人形師
医師は人口の0.2%しかなく、誠実に現状をお話しても大多数の非医療者は、
マスメディアによって作られた先入観に基づいてお話を聞かれます。
医療問題を語る上で、本来オピニオンリーダ足らねばならない医師は
数の力では、圧倒的に弱いため、非医療者の幻想が社会では主流です。

医師というのは、自分の意見を表明しても数の力(=権力)で押しつぶされ、
また、働き盛りの有権者は全く医療機関を利用しない人がほとんどであるので
黙殺されてしまうのです。メディアでも医師たたきで終了してしまうのは
医療を必要としている人は、選挙の票にならないからでしょう。

私はとある地方病院に勤務していましたが、患者さんの苦情の投書のほとんどは
時間外外来の待ち時間短縮、病院食堂のメニュー、トイレの構造についてでした。
本来の医療機関の能力としては、大淀事件のように重症患者の対応能力などを
重視すべきだと考えます。

病院の苦情処理係としては、数の上で多い本来の医療では後回しにすることを
優先して、声を上げることすらできないICUの患者や、新生児室の患者に対応する
ことが後回しになります。(後回しにするということは、見殺しにするということと
同義であります。)

医療問題は、公開されてはいけないのです。また、有能な病院は宣伝してはいけないのです。
患者に開かれた医療というのは幻想です。
対応が良いと評判の病院は、誰に対してか、軽症患者のみ対応が良いということか
見極める必要があります。

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この記事へのコメント
ばあばさま
ばあばさま、はじめまして。

医療崩壊についてずっと読ませて頂いておりますが、自分の頭の中を一度整理するためにコメントさせてください。
私は神奈川で生活をしていて、お産も居住地にある市立の病院でしました。約10年前の話ですが、その時でも妊娠したとわかった時点ですぐに出産の予約を入れないとその病院では出産できないと病院の方から言われました。結果としてすぐ予約を入れて市立の病院で出産したわけですが、その当時は実家に帰って出産するという選択肢もあり、あまり危機感を感じてはいませんでした。
ところが、現在ではその"実家に帰って出産"も危ぶまれる状況になっていますよね。(気づいていないだけで、ひょっとして当時から危なかったのかもしれませんが。)今、私が妊婦だったらと思うと心底ぞっとします。また、早ければあと10数年で我が子も妊婦になりうるわけで、お産に関しては今現在自分が当事者ではないからといって安心しているわけには行きません。当然、今この瞬間からわが身に降りかかってくるであろう病気や怪我等に対してはなおさらな事です。もう少し時間をかけてじっくり考えてみたいと思い、ばあばさまからの投稿1から読み直したり、リンクのページにいったりしているところです。
先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。100%医療を受ける側である私が出来ることといえば、今のところこれくらいでしょうか。
悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。
よろしくお願いします。
2006/10/07(Sat) 14:16 | URL  | あいね #tglVrEfk[ 編集]
>先ず、情報を与えてもらって知ること。そこから先自分が何をしたらよいのか、何ができるのかを考えること。
>悠長なことを言っている場合ではないかもしれませんが、ばあばさまの後にくっついてしばらく勉強していきたいと思います。

 あいねさん、まず何よりも知ることだと私は思います。そうでなければ行動に移せませんから。それに、この問題は突き詰めれば、それぞれの死生観にも関わってくるのではないかと、恐ろしいことに私はそう思ってもいるのです。

 今の状況は、パニック映画で言うと導入部分でしかありません。

 映画では、導入部分で危機感を持った人間だけが最大の危機を脱し、問題解決の糸口を掴むことができます。その他の人々は、運がよければお相伴に預かれることになっています。

 私が知り得るところをこれからも紹介したいと思います。そして、患者側の人間としてとりうる方法を模索したいと思います。ある意味、私は炭鉱のカナリヤですから。

 あいねさんも、どうかこの問題に常に関心を持ち、アンテナを高く掲げてください。そして、隣近所の人々にもさりげなく、伝えてください。
2006/10/07(Sat) 20:31 | URL  | ばあば #-[ 編集]
NHK教育テレビ
見ましたよ。
きつかった一日の最後に。
みんな一緒と各人各様の項に書きましたが、やはり市民がビジョンをもつということでしょう。あの瀬棚の診療所は、住民との組合組織にして、行政から補助をとりながら、自主経営するのがいいでしょう。国や自治体の任せてないで、あれだけ市民が立ち上がっているのなら、それが出来ると思うな。

夕張の副院長がいてったけど、厚労省は国民に死ねと言ってるんですよ。自己責任でね。その象徴が尊厳死です。ビジョンを持った医者と市民の恊働。これは早晩流行りになるな。きっと。
2006/10/07(Sat) 23:39 | URL  | 竹薮みさえ #-[ 編集]
ばあばさま
こんばんは。
コメントありがとうございます。
ばあばさまの投稿を読みながら色々な思いが交錯して、自分の考えをどのように方向付けしたらよいのか少しもてあましていたのですが、コメントを頂いたことで糸口が見えてきたような気がします。(錯覚でないことを祈ります。)
"先ずは知ること。"ここを心に留めて関心を持ち続けていきたいと思います。隣近所の方々にさりげなく伝えてあげられるようになるためにも。
お忙しいでしょうが、引き続きの投稿をお待ちしております。


2006/10/07(Sat) 23:55 | URL  | あいね #tglVrEfk[ 編集]
>ビジョンを持った医者と市民の恊働。

 そうです。医療関係者の方々と住民はタッグを組んで、必要とあらば、政府・行政に当たる必要があると思っています。

 しかし今、あまりにバランスが悪いのです。
 今のままではタッグは組めません。

 患者側の立場である我々は、もっと色々なことを知らなければならないと思います。さもないとバランスが取れないと思っています。なにせ現状では、「医療崩壊が来るぞ!」と警報と悲鳴を出しているのは、医療関係者、医師の方々だけですから。

 「心の僻地」を作り出しているのは、患者側の我々です。

 へへっ、「心の僻地」という言葉をいつ言おうかと悩んでおりました。番組の中で井関氏が説明してみえたので、安心して使えます。なにせこの言葉、患者側としては耳に痛い言葉ですもん。
2006/10/08(Sun) 00:46 | URL  | ばあば #-[ 編集]
そうでしょうか。
今回の場合、いつもぶつかるのがそこです。
「患者側としては耳が痛い」ので、医療者の人たちが「使うのがはばかられる」というかぎり、心の僻地を作り出すのは、医師も同罪です。
今日の医療者達は、患者を育ててきました。だから患者の方が医者に歩み寄って悪うございました。不見識でしたと謝らにゃあいかんのですか?今日のウツの男性はやって当たり前のことをようやくやった、おそすぎたんですか?

ばあばさんの投稿にコメントする医療者のかたたちはどうしてばあばさんにむけて語るのですか、ばあばさんはもうすでにわかってる人なんですよ、そういう味方にむけて語る必要はない。ここをROMしてる見えない主婦達にむけて語るべきなのに、ばあばさんに向けてかたる。ここをROMしている方々という呼びかけがない。竹薮の記事に反応して下さったのはどDr.Iさんのみです。いささか挑発的な今日の竹薮の記事にコメントくださらないのはなぜ?

内輪でだべるな。外に向かって語れ。誰と何を共有したいのか。方向性を語れ。今日のコーディネートしていた行政学の人と、竹薮のいうことは同じです。で、竹薮は患者の側だから医療者に向けていってるんです。医師もまた「心の僻地」をこれまでさんざんつくってきた。「いい薬つかいますからね」という医師が山ほどいる。それでレセプト開示だの、インフォームドコンセプトだのという動きが出てきた。それを棚に上げて、行政の画策もあって医療崩壊するのを、まるで「患者があほだから」みたいに言われるのは納得いきません。

「お医者さま」が医療者として、地べたにおりてきてくれないとどうしようもないし、「患者さま」などという妙な持ち上げ方をして患者を消費者にしてしまった医療マネジメントもまた批判されねばならないでしょう。
「心の僻地」というのを井関氏は行政や医療者に対してつかっていたでしょう?
「医療過誤」というある意味でまちがった叫びを、患者に正しく叫べと誰が言えるのでしょうか?その叫びは実はこういう風に叫ぶべきだったといままで解釈してこなかった、医療関係者(行政も、プロも、そして患者と医療者のコーディネーター)の全てが患者と敵対的な立場にしか立たなかったってことじゃないですか?

ばあばさんは尿意を感じない人が失禁することを責めない。それと同じです。尿意を感じない者と共存していくには尿意を要求することは出来ません。患者は失禁してなんでもかんでも訴える。それは医師がなんでもなおしてくれるという幻想故です。その圧倒的な医療者のフリをなげくのはいい。しかし、患者に尿意を要求するのは間違いです。認識に余裕のあるものが、(つまり問題を良く知ることのできるものが)苦労を負うのは、世の中の恒ではありませんか。認識に余裕があるからこそ、発信の責任があるのです。幸いわたしたちはある程度「尿意」を感じることが出来ます。幻想を放置せずにもっと早く対応していれば、ここまでひどくはならなかったかもしれません。たとえば在宅で死にたいといったのは患者です。そして在宅での死がデザインされた。そういう正しい叫びもあったのです。そしてその二つの叫びは同根です。

遅すぎた「医療崩壊がくるぞ」という叫びにおいて、なぜ「そこまで叫べなかったのか」という総括がないと、患者と医師の恊働はくめないでしょう。

竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。
2006/10/08(Sun) 01:21 | URL  | 竹薮みさえ #-[ 編集]
>>管理人さん
>竹薮は医療者に厳し過ぎるでしょうか。
というより、もう少し当該問題について知識を得てから吠えられた方が説得力が増すのでは。
今の現状認識では読んでいてあまりに痛々しいので医療者側が生暖かくスルーしているだけのように思います。
探す気にさえなれば資料などいくらでも転がっています。
調べる気にさえなれば。
2006/10/08(Sun) 08:58 | URL  | 元田舎医 #mQop/nM.[ 編集]
皆様、白熱してますね。個人的には、こうゆう雰囲気好きです。要は、安心して産めない(産科医不足)、安心して育てらない(小児科医不足)現状で、いくら手当てをねんごろにしても、少子化対策にはならないだろうと思います。
2006/10/08(Sun) 09:48 | URL  | じゃりんこ知恵 #-[ 編集]
 私が医療崩壊に関心を持つに至ったのは、案外とそれまでの読書歴がものを言ったのかもしれません。医療関係で読んだ本。

70年代に読んだのは、
 リチャード・フッカー著「マッシュ」3巻
 なだいなだ著「お医者さん~医者と医療のあいだ」
80年代は、
 田村京子著「北洋船団女ドクター航海記」
 川人 明著「正直な誤診のはなし」
 庭瀬康二著「ガン病棟のカルテ」
 吉利 和編「医師の生命観」
 それに、以前紹介した「外科医」「ついに…僕は医者になった」
90年代は、
 別冊宝島152「病院で死ぬ!」
 入澤俊氏著「こちら泌尿器科110番」
 そして以前紹介した「研修医なな子」全7巻

 改めて本棚から手にとってぱらぱらと見ていたら、医療崩壊に到るまでの諸問題は、すでに70年代には書籍として世間に公表されていたんですね。すっかり忘れていましたが。

 なだいなだ氏の「お医者さん」には、医療崩壊に到るまでの諸問題がさり気なく書かれていました。この本、毎日出版文化賞受賞なんですね。でも、この本読んだ人、きっと少なかったんでしょうね。   
2006/10/09(Mon) 16:38 | URL  | ばあば #-[ 編集]
非医療者の幻想
医師は人口の0.2%しかなく、誠実に現状をお話しても大多数の非医療者は、
マスメディアによって作られた先入観に基づいてお話を聞かれます。
医療問題を語る上で、本来オピニオンリーダ足らねばならない医師は
数の力では、圧倒的に弱いため、非医療者の幻想が社会では主流です。

医師というのは、自分の意見を表明しても数の力(=権力)で押しつぶされ、
また、働き盛りの有権者は全く医療機関を利用しない人がほとんどであるので
黙殺されてしまうのです。メディアでも医師たたきで終了してしまうのは
医療を必要としている人は、選挙の票にならないからでしょう。

私はとある地方病院に勤務していましたが、患者さんの苦情の投書のほとんどは
時間外外来の待ち時間短縮、病院食堂のメニュー、トイレの構造についてでした。
本来の医療機関の能力としては、大淀事件のように重症患者の対応能力などを
重視すべきだと考えます。

病院の苦情処理係としては、数の上で多い本来の医療では後回しにすることを
優先して、声を上げることすらできないICUの患者や、新生児室の患者に対応する
ことが後回しになります。(後回しにするということは、見殺しにするということと
同義であります。)

医療問題は、公開されてはいけないのです。また、有能な病院は宣伝してはいけないのです。
患者に開かれた医療というのは幻想です。
対応が良いと評判の病院は、誰に対してか、軽症患者のみ対応が良いということか
見極める必要があります。
2007/01/04(Thu) 01:39 | URL  | 人形師 #mQop/nM.[ 編集]
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